2013年3月11日月曜日

人形遊びしたい

バカみたいに寝てしまいます。24時間起きてることとかがあるからだと思いますが。
確実に寝なくてもいいところで二度寝を選んでしまったり。
その時間を絵に費やしたい。


絵が上手くなると実感できる期間は、何かしら貪欲に情報を求めています。
本を読んだり、熱心にサイトを探したり、自分なりに研究していることもあります。
絵が上手くなったと感じた次の日は、全てが一から始まる気がします。
今日何も描いてないというところから、今日は0。
感じているのはこの波なんだと思います。満足できない感じ。




ダ・・・ダメ・・
どうしても縦線がかけない。
ペンタブじゃなく、紙に書いても同じです。



フラッシュバックのように。あの時に描いた絵を頭の中でイメージしてみると、はっきりとその絵が浮かび上があります。それを描こうとすると、細部がぼやけていて、あいまいになっています。具体的に分からないので、その絵が実はすべてがぼんやりとしている絵であると気付きます。
しかし、どのように光があたり、どのような格好をしていて、どのような背景の中に、どのようなオブジェクトがあるかは分かります。
絵がかけないとはこういうことをいうのでしょう。
だけど、理論によって、そのあいまいな部分を埋めることが出来ると思います。

絵がかけるとは、すべてが明瞭であること。





30秒ドローイングと反省

30秒ドローイングは、ほとんど確認のための作業だと思いました。
一日の練習時間のうち、これが20パーセントを越えても意味ないと思います。比率は適当ですが。
いえ、30秒ドローイングが上手くなりたいというのであれば、有効だとは思います。

毎日これを自分が決めた1セットだけやっても、上達する人はそうそういないのではないでしょうか。毎日ぐるぐるを1セット描いてる人が、それだけで練習を終えているのと同じぐらいの効果はあるでしょうが。ぐるぐるも線も、全て確認のため。
自分で確認しなおすのが最も大事かもしれません。誰かに確認してもらってもいいですが、迷惑がかかりますからね。
バランスはどうかとか、履歴と比べてチェックする。
興味深い履歴は実際に描いてみるのもよいです。神構図や神ポーズもたくさん現れます。
30秒ドローイングは確認の作業だから、これを怠らないこと。



30秒ドローイング


絵を描くようになって……
萌える絵を描きたいのだけど、そのような絵を描くにあたっては、萌え絵の黄金比を探して、それに当てはめて描く作業が主なものになるのだと思います。
自分がいいと思った絵の研究は、萌える要素というよりもバランス感覚を養おうとするもので、そのバランスの破壊と修復が主になります。
また、あるバランスをもっている絵の中には、他の絵の中にある萌えのバランスを物理的に配置できないようなこともあるでしょう。それは、それでいいところなのですが。

人をみると、やはり、萌え絵にもいろいろあるように、まあさまざまなバランスを持っておられます。その造形の魅力をますます感じるようになりました。色んな顔をしてるし、色んな体系をしてるし。色んな色をしています。2次元の方がいいに決まってると思ってかわいい女の子を描けるように努力してきましたが、やっぱり3次元のよさには程遠いのではないかと思います。
2次元に求めるものは現実の世界にはない。神のような、自分が信仰できる対象。マリアのような、現実にはいない母。自分がすがりつけるものであり、自分の思い通りにできるもの。自分を惑わせるもの。夢であり。現実では叶えられないもの。そのような魅力がああります。

 現実でも私は生身の女性と何人か付き合ったことがあるのですが、女性は私を、ある種の神として信仰するふしがあったと思うのです。また、その理想と現実の差の中で、落ち込ませることがあたり、逆に彼女が思っても見なかったサプライズなどに興奮したりしていたと思います。
 私は女性を神やマリアなどと思って信仰したことはありませんでしたので、そうは感じないのですが。2次元より3次元がいいといってる人は、結局そういうことなのではないでしょうか。何かを神と思って依存しなければならないので、恋人が欲しかったりするし、依存できるように、神らしく振舞ってもらうことを求めてしまいます。

だから神は、パソコンの中だけにあればよかったのです。
私は、その神を具現化したフィギュアのようなものを必要としていませんでした。ところが、今はまた、必要になってきたのです。それを色んな角度から描いてみたいと思うから。

 私は最近、信仰しする神を描いてみようとするのですが、どうも首が長くなり、腕も足も太くなり、右の肩幅から不思議な膨らみをもった、バランスになってしまうのでいけません。




リボンは女らしさを水増し。
男につける以外の使い道があるのかと思います。
リボンのない女を女らしくないとは思いません。
女らしさとは曲線であり、鶴が自分の背中をかくときのような、首のラインです。
アクセサリーをつけている人は、自分らしさを水増ししている。またつけないことによっておこる水増しもあるでしょう。
例えば、スポーツ万能な女がいて、私服でアクセサリーにリボンをつけていないことが、彼女らしさの水増しに繋がっていると思うし。無理やりつけてあげることはかわいいと思います。

だから結局、男につければ良いのではという、発想になるのです。







パソコンのない時代なら紙をめちゃめちゃ使ったことになるんだろうなと、日々思います。今は落書きなんかを片っ端から保存しても何の痛みも感じません。これがパソコンの普及しはじめた時代にも出来ませんでした。2Mしか入らないフロッピーが1枚いくらしたのかは分かりませんが。今日までに、保存した絵を数えるだけでも、100Mを超えています。フロッピーでの管理もさぞ大変だったでしょう。
簡単に1Gとか行っちゃうなと思うと、保存も躊躇いますけどね。
手塚治虫は数日で自由帳を埋めていたらしいですけど、それでも大変ですね。自由帳なんて48ページぐらいしかないらしいから、今の私なんかでも、線とか〇とかで、一瞬で埋まってしまうということです。余白も使い切るの難しいしですし。余白を残したほうがいいとも思いますし。そんなんで自由帳を一瞬でなくしちゃったら、親はショックでしょうね。

私は大事なことだと思って続けていますが。小学校の頃を思い返すと、そういえば、自由帳を2冊持ってる子はいませんでしたね。私に子供がいるならば、2冊以上は持たせるでしょう。浪費しろということではなく、2冊あればもっと色んな使い道がひらけると思うからです。
例えばマスカケに目や鼻のパーツをかきこんで、友達に、順番に番号をいってもらい、その数字に対応したパーツでキャラクターを作るという遊び方が流行ってました。それはなかなか興味深い遊びでしたが、自由帳を2つ持つという発想が誰にもなかったので、ページを破ったり、ページを閉じたり開いたりしながら遊んでいましたから。
また、ゲームをデザインして遊ぶことも多くありました。2冊あれば、もっとユニークなことが出来たのではないだろうかと思うのです。

学習帳について検索して思ったことは、全ページに、豆知識みたいなものを入れておけば、子供の学習意欲が少しでもわくのではないかということです。
エジソンが何をしたとか。もっと専門的なことでもいいでしょう。
内容は被っててもいいと思います。学習帳ごとに番号を振って、まめ知識の内容を変えればより良いでしょう。学習帳に番号がふってあれば、子供も自分がどれだけ勉強したかということを振り返ることも出来きますから。
まめ知識が授業を阻害したとしても、別に、まめ知識を読むことが勉強なのだからいいのです。そうやって興味をもって自分でどんどん覚えていくことが、押し付けられるものよりもよっぽど良いでしょうから。
ページを開いてるだけで目をひきますし、1~2行程度のものなら読むと思います。


0 件のコメント: