2013年10月10日木曜日

ゴミ映画だった『シャイニング』

『シャイニング』続き


ママは広い山奥のホテルにたった3人でいるわけですから、子供だけではなく、たまにはパパにも会って、お話やキスなどをしたいと思うようになってきます。しかし、パパはいつも仕事中で、ママがくると中断せざるを得なくなるので、近寄るなとママにいいつけます。ママは仕方なく子供と遊ぶことにするのですが、独りぼっちで仕事を続けるパパの様子は、ママの知らないところで、だんだんと変わっていってしまったのでした。
パパは自分の神経を張り詰めさせ、疲れさせたこのホテルが、かえってお気に入りとなり、ここが自分たち家族の居場所ではないだろうかと感じるようになりました。パパは子供やママに、自分のようにホテルを好きになって欲しいと願います。そして、叶うならば、ずっとここにいたいと切なる思いを燃やすようになっていたのです。
ママは、どうしてもパパの近くに用事のあるときは、子供におつかいを頼むことに決めました。血相を変えたパパに気付いた子供は、パパの心境の変化にたいへん敏感になって身を案じます。パパは子供を自分に引き寄せて、パパがずっとこのホテルで暮らしたくなってしまったことを打ち明けました。
子供ははっきりとは答えることはしませんでした。それよりも、どうしてママが、パパへのおつかいを頼むのか、真相を知りたかったのです。もしかしたら、ママとパパが喧嘩をしているのかも知れません。だから、パパに、自分だけにでもいいから教えて欲しいと思って尋ねました。「ママをいじめるのはやめて。」
疑り深く、パパは子供に質問を返しました。こんな卑怯に、パパの心中を探ろうとする言付けを頼んだのはママか? と。子供はもちろん違うと答えましたが。パパはますます不安になってしまうのです。ママは、このホテルを愛していないのではないだろうか。

その次の日のことでした。ママは忙しいパパの変わりに、寒いホテルの部屋が凍り付いてしまわないように、順番に部屋を暖めていくお仕事をしていました。
地下室にある、茶色の大きな機械は、その仕事を半分だけ自動に働いてくれる機械です。しかし、もう半分は、ママがこなさなくてはなりません。大きな機械に緑黄赤の3つの色のランプがついたボタンを上手くおしていくことがママの役割でした。ママが地下室を見渡して、緑色のボタンをおした時でした。
はじめは気のせいかと思っていた、「ウゥ」という低い唸り声がはっきりと聞えてきたのです。
ママが音の出所をさぐって、おそるおそる歩き始めると、どうやら、聞き覚えのある声だったのです。パパがどこかで苦しんでいると知ると、ママは、一目散に走り始めます。すると、パパは広いホテルのダイニングルーム(食堂)で豪華な長机に突っ伏して、苦しんでいたのです。
ママはパパにとつぜん体のどこが悪くなってしまったのかと尋ねました。
パパは、とても恐ろしい夢を見たと答えます。
ママは大丈夫だといって、パパを笑顔をもってなだめました。ママにとっては何週間ぶりとなる、パパとの会話だったので、パパがとても辛い状況で、自分が助けてあげなくてはならなくても、嬉しかったのです。
そして、近寄るなと怒鳴ったのに、今もやさしく接してくれるママに、自分が見た夢を語り始めるのでした。
その夢は、パパがママや子供を殺して、切り刻んでしまうという夢でした。ママならば、パパの悲しい夢を許してくれると思ったのです。
恐ろしい夢の話を聞き終えると、子供も食卓へかけつけてきました。


この変まではおおむねよかった。原作の小説がどのような表現になっているのかさえ知りたいぐらい、面白いです。ただ・・・
ただああ。

60分にも差し掛かると、ホラー映画にありがちな冗長で、無意味な演出も増え始めます。
これが5連続ほどつづいたのはもったいない。黒人のジジイがドアップになるシーンから謎演出は続きます。しかも長い。裸の女が現れパパにかづいてくるシーンもだが。
どうしてホラー映画の監督は、こうも緊張の糸が切れてしまうような演出をするのでしょうか。何よりも裸の女の体系が悪すぎる。これはピクリットモでしたわ。
浴槽をまたいで一歩踏み出したときの構図はよかったが、その後が全然だめだった。長いし。ずっとこの汚い体を見せられている意味が分からない。

監督「あー、全裸になるシーンあるけど、おk?」
汚い女優「いいですよ。全裸いけます。」

「じゃあ、カメラ回しマース、アクション!」
監督「なんやこの体・・。なんで全裸いけるいうたんや・・・。」

ここからあんまり見るきもしなくなっていました。
一応全部みたんですが、失速してから、ずっと同じペースで走り続けてた感じでしたね。
無意味で、冗長な演出は序盤にもあって、危惧はしていたが、それについては、意味が明かされたり伏線だったりしましたから、むしろ良かったんですけどね。

もうとっくに冷め切っているのに、女優の演技が大げさすぎて笑えたってこと意外は印象になかった。黒人
シーンは黒人への配慮なのか、無駄に写ってる時間がながい。カットできただろとしか思わない。まぁ死ぬんだけどな。
前半で神構図の連続だったのに、後半一切そのこだわりが感じられなかった。何が取りたいのかもさっぱり。何をみせたいのかもさっぱり。パパが死ぬシーンももはや笑えないジョークだった。
あれ、あの・・これ、滑ってますよ?
落ちも良く分からなかった。
他に映画を見た人が、興味深い解説をやっていそうなものですから、まぁ見てやってもいいかな。
後半はほとんど催眠状態で見てましたね。

これだけ失速した映画があったのか・・・。導入部分は完璧で。それらを支える構図も演技も完璧だったのに。
いつからおかしくなってしまったのか。やはり、あの黒人のアップがいけなかったんだろ。
同監督の、名作『カッコーの巣の上で』ジャックニコルソンが、同じようなアップの長回しを耐え抜いたが、あれも謎演出だが、あの長回しには、酒が回ってしまったという意味もあったはずだ・・、それに、ジャックニコルソンは、長まわしに耐えうる顔だった。だから、すごいんだろう。
でも、黒人はダメだ。黒いだけだから。
意味も、思わせぶりだったとしか思えない。
何か感じ取ってよ? なんで黒人のアップが続くのか、行間をちゃんと読んでよ? という、押し付け。何を感じ取るべきだったのかを教えて欲しい。
例えば、あの演出はいらなかったなというと、文句ばっかりいうなとよく反論されるが、教えて欲しい。お前は何か感じるものがあったのか、と。
そして、導入部がいかに完璧だったかということを、オレのように感じられたのかということを・・・。

シャイニングは惜しい映画だった。
まあ、ホラー映画だからねという、安直な感想で終わらせたくない・・。そのような感想をもつものには、導入から中盤にさしかかるまでが、どれほどすごかったのかが分からないんだろう。
はぁ・・・今までのつらい経験・・・。場かとの会話が全て蘇ってくるような、残念な映画だった。
バカには、考えすぎだといわれ、バカにはホラー映画だからとフォローされ、バカに慰められてしまうような、かわいそうな映画になってしまったんだ。どうして・・・。






朝 62.4kg

順調に体重が増えてて喜ばしい反面。単純に太っているのではないかという疑惑もあって怖いです。ただ、いつも朝食前に計っていたけど、今日は500mgのプロテインドリンクを計る前に飲んでしまったので、こんなものなのでしょうか。

排泄や食事の量によって1日に2kgや3kgの変化は当たり前だそうなので、ダイエットをするにしても、目先の体重増減にあまりとらわれないほうがいいそうですけどね。

昨日大切だと分かった肩甲骨に続いて、骨盤の柔軟性を良くみてみる。

右足はわりとよどみなく、骨盤から足を踏み出せているのですが、左足はずいぶんぎこちないことが分かりました。

絵を描き始めてずいぶんたってから、骨盤のかなり上の方から、足の可動が始まるということは学べましたが、実際に自分があるくとなったときに、意識せずして足を動かすことはできません。

骨盤から足を踏み出す動作は、歩くことにとっても走ることにとっても重要なことです。骨盤から踏み出すことが、単純に歩幅の増加につながるというだけではなく、骨盤の柔軟性によって、無理なく足を滑らせることによって、足に余計なダメージを与えない。

坂道でトレーニング
ま、山にいったってことですね。
山はガチ勢と散歩している老人しかいないので、すごくメリハリが利いている。
子供連れの親子とかもいるが、近くのランニングコースより人がずいぶん少ない。
1/5ぐらいです。だからなのか、逆に挨拶している人は多いです。

朝3時半ぐらいに目が開いて、中途半端な字簡易おきちゃったと思いましたが、二度ねするか、おきるかを20分ぐらいうとうとしながら悩んで結局起床しました。出発まではストレッチ系の動画をyoutubeで探して、一緒にやってみます。昨日は晩御飯も食べずにねちゃったので、お腹がとてもすいていましたから、プロテインジュースを飲んでお風呂に入って出発しました。

道中の食堂までの道のりで体の調子を確認しますと、体がボロボロになっていることが分かりました。ちょっとここのところ、ランニング以外でも、体を動かして仕方がなかったときには、筋トレして無茶をしてましたので、祟ったのだと思います。
一日か二日ぐらい、完全に休憩する日を作ったほうがいいのかな?

そうとはいえ、ランニングの調子は、いつにもまして良かったものです。
今日もまた、いつまでも走り続けていられるような走法の感覚を掴むことができました。
それでも、もともと体力がなかったため、これ以上疲れていいのかどうかが分からないという理由で、判断が分からなくなってしまうことがありました。

脳みそだけが「そろそろみんな限界でしょ?」と、細胞たちに語りかけます。
細胞はそれぞれ「いや、まだいけますけど。」「まぁ、オレもいけるけど~」「全然平気です。」「もうちょっと行ってみましょう。」と返事をするんですが。
またしばらくすると、脳みそが会議をひらいて「どう? そろそろ止りたくなった?」と声をかけます。
やはり、「いや? いけますよ。」「いけるねぇ」「さっきと変わってなくね?」
肺も血液も「乳酸は溜まってないし、呼吸も乱れてないけどね。」

で、こういう会議が開かれるたびに、ほんとに大丈夫なのかと心配になるんですが。
10回ぐらい限界かなと思っては乗り越えたんですが、走るのやめました。
それでも、まだまだいける感じではあったんですが。
筋肉痛だったうちももだけは「まぁ、痛いっちゃいたいですけどね。」といってたので。

結局全部脳みそがしゃべってることなんだけど。うーん。まだ走れたんでしょうか。それとも無理しちゃってたのかな。
体力自体が急激についたので(もともと10だったのが20ぐらいでしょうが)全然体力が残っている機はするんですが、これ以上疲れた経験がないから、走るのをやめたくなってしまう。
怪我だけは絶対にしたくないってものあるんですけどね。



そういえば、汗対策に、首にタオルを巻く方法をためしてみましたが、重点的にケアした胸元などは、効果がよくでていて、いつもは服の前面は全て汗まみれになってしまうところを、3割程度で済ますことができました。
うなじは上手くケアできておらず、いつもどおり7割方、あぜがついてしまいました。

うーん、明日は休憩しようかな。ストレッチするぐらいにして。
それから土日は少しだけハードに練習してみよう。

帰ってきてシャワーを浴びるが、ここのところ、シャワーで流した肌を、手でなでたりするんですが、ぬるぬるします。流している時に、自分でお腹をみたり、太ももをみたりすると、妙に反射してエロいし、さわってみるとプルプルだしね。
ネットで検索したけど、あまり分からなかった。
どうして、こんなありそうな情報がないんだろうか。

もともとシャワーで流すだけでぬるぬるなので、今は、タオルも石鹸もつかっていませんが。不潔なんでしょうか・・・。
普段から肌がぬるぬるしているわけではないんですけどね。
う~~ん。これで臭うようだったらちゃんと洗うようにしよう・・・。


フォームをかなり意識してやっているんだけど、まったくしっくりこない。あってるのかどうかも分かりませんね。
でも、人のフォームをみていて、アゴがあがってるなとか、背中まるいなとかは分かるんですけどね・・。
まあ、悩みながらやってみるしかないですね。そのうち、これだっていうフォームがみつかるよね。

走り終えたときは62.9kgでした。

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