2013年10月13日日曜日

健康とは何か

痛みが残る・・・。金曜日にしっかり休んだときに、土日はいつも以上に走るんだ~~って思ってましたが。ダメだ。
走れないわけじゃないんですけど。完全に回復させたほうがいいのかなと思って。
だけど、これだけ長く痛みが続くとなると、やっぱり怪我をしてるんじゃないかって心配です。

健康になろうとして、運動をはじめたのに、結局怪我をするのでは、何がなにやら・・。 




健康について辞書で引いても参考にならなかったので、真の健康とはどのような状態であるか、キルケゴールに尋ねてみる。
彼は、著書『死に至る病』の中で、健康とはこのような状態だと説いている。
いける状態には、常に、死せる状態(病める状態)になりつつある矛盾が生じていると。その矛盾を問答無用で解消する力こそが健康なのだといいます。

二度と怪我をしたくない、という保障があってはいじめて、生きた状態なのだというが、その保障はどのようにしても得られない、死に向いつつある状態なのだと。



ここで健康という単語を使うと、2重の意味をもってしまい、ややこしいのだけど。
つまり、いける状態にあっては、誰もが想像する”健康”には決して到達しない。
健康になろうとして、運動すると、筋肉痛になってしまうので、これは健康ではない。
また、筋肉痛から回復する状態も、休んだほうがよいので、健康とは言いがたい。
運動しない状態よりもはるかに、自由度の低い状態がずっとつづくのである。

そもそも、病気にならないとしても、その日運動した時間、その日運動に要した体力は、運動しなかった時の健康状態に比べ著しく不健康である。
それは、運動した時間は、その日死んでいた時間に他ならないし、運動に要した体力によって、その日の残り時間に出来ることを狭めてしまうから。

なので、キルケゴールが考える健康とは、そのような生の状態と、死の状態においての、関係性にあるのではないとしています。
むしろ、その矛盾を受け入れた状態が健康なのだというのです。


キルケゴールのいう健康を、運動に置き換えると

常に怪我をする状態に向って走り続けられる精神


この矛盾を解消する力が健康だと。
これは、私は後にニーチェの思想に繋がったと思うんですね。
キルケゴールは死に至る病の中でキリスト教は否定しなかったが、本質をあらわしにた。
神とは何か、神が及ぼす影響は何か、どのように矛盾するのかとか
(例えば、全ての罪は、神の目の前でのみ行われる』)
道徳とは何かも説明しました。
『現代の批判』『アンチクリスト』もキルケゴールの著書ですが、結局は常識と思われていることについての本質が、どれほど、その常識と矛盾しているかを解いています。

ニーチェは、完全にキリスト教や、道徳についてコキおろしました。それも痛快な逆に、詩的に、非常に芸術的かつ文学的であったため、評価されたのだと思います。しかし、その根底には、キルケゴールの思想があると思います。


つまり、この前も同じようなことを書いたのですが。ニーチェの思想として紹介しましたが。

絵を描いているということは、ほとんど失敗するために描いているようなものですので、100回1000回と描いても全てが失敗に終わってしまう。それでも書き続けることが出来るのか? ということなんですね。
ニーチェは、それでも書き続けられるのが、超人だといいますが。
これは、キルケゴールにいわせるところの、健康なのでしょう。


横顔は相変わらず苦手だ・・。
最近気付いたのは、もっともっと、顔を大きく描いてもいいのかもしれないってこと。
いつも、顔が小さいと思ってから意識していたつもりだったが、それよりも、もっともっと。

どうやって体で支えるの? というぐらい、大きく顔を描いたほうがよいのかも・・。


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