2013年10月29日火曜日

左も右もかわらんね


見た目には分からない左右の差。
ただ、不器用なだけという感じです。

線は引けません。あと、左手デバイスが使えないので、やり直しだとか、消しゴムを使うだとかが、めんどくさくって、余計に線が引けません。

でも、結局右手の絵も、左手の絵も、どっちで描いたかがわからないぐらい、客観的に見て違和感がない。


ちょっとだけ寝ようとして10時間も寝てしまった。
ほんの少しだけ寝るという技術がほしい。


この体制も無理があったことが後から分かった。
描いてるときには何がおかしいのか分からない。
体制が悪いのではなく、絵が下手なのだろうとしか思えない。
足を前に出すときには、絶対に背中をまるめなければならないってことだ。

こういうのは休憩中のストレッチの時とかに、どんな感じだろうってやってみたんだけど、無理すぎた。
体をそらして足を前に出すのは無理。
直前に同じような絵を描いているのに間違えるんだから救えないです。

後は体がどうしてもごつごつしちゃうのがな……。
ずっと修正してないから悪い癖にならなきゃいいんだけど。
おっぱいも描けないし。

練習しないとな。


サーキットトレーニングって、1日12分程度で3ヶ月程度つづけるだけでも、かなり効果が出る・・・みたいなことが書かれているんだけど本当なのかな?

こんなんで3ヵ月後、あるいは半年後に変化があるようには思えないんだけど。
正しいやり方で出来てないのかもしれませんが。
頻度そのものが一日置きで、筋肉痛があるようなら2日休むのだと、あらゆるサイトでいわれているけど。
筋肉痛にすらならない。
確かにやってるときは効いてる感じするけどさ。
これだけでいいものなのでしょうか。

他にトレーニングメニューがあってのことなのかな。


ランニングをはじめ、何も変化がないまま1ヶ月がたとうとしている。

と思ったが。

いや。ストレッチをしながら、自分の前もも(大臀直筋?)をふとみたら、異常にごつくなってた。
異常ってほどでもないけど 笑
あれ、これ自分の足か? って感じだ。
でも、前ももだけで、後ろもも(大臀二等筋かな?)は、まったく変わってないようす。足が変なバランスになってる。
たしかにスクワットとかするときも、前ももばかりに効いているなって感じでしたしね。
ほんとうは、お尻のラインを鍛えたいのだけど、うまく効かせるのが難しい。

一ヶ月でこの変化なら上出来なのかな。

2013年10月27日日曜日

思考停止

はぁ~
顔と体が繋がらない。
というか、顔が描けない。

顔の形間違えてた! って思った時の、あの顔の立体感がまるでつかめない。

絵を描こうって気になるようにはなってきたけど。
結構折れるときもアル。
何度も上手くできなかったときとかはそうとう折れる。
一枚絵を仕上げていくしかないなっ。

まぁだけど。あたりぐらいは、自由自在に描けるようになりたいんだけど。
全然ダメだ。

バストアップだけはかけるよね?
みたいな。そういうのすらないんだけど。オレには。

模写




模写



2013年10月26日土曜日

絵が上手いってことの要素に、一度にたくさんのことを考えられるってことがあると思いましたね。
僕でいってみれば、全然まだまだだ。
たぶん、みんな訓練によって、一度にイメージできる範囲が増えていったんだろうけど。
それにはどういう訓練が必要なのかが分かりません。

だけど、模写をするにしても、何をするにしても、イメージしてから描くってことはそうとう大事なのかもしれません。
イメージするよりも前に、手が動いちゃうことが多いので、そういう力がまったく実についていない。

だけど、どうしてもゆっくり描くことができないので、何か対策はないものかと考える。

一発描きが訓練になるってのもほんとによくわかる。
絶対に消さないってプレッシャーは、たいしたことはないんだけど。確実にイメージできてから描こうと思うから。結局、見たものを画面に投影する力はついていくんだろう。
微妙なずれが重複して行くのを、気にしなければね。
1本1本の線をみずに、全体がどうなっているかを絶えずふりかえる癖もつくかもね。

だけど、現状は、常に考えていられないから・・・。

 模写

モートンフットの問題で、ランニングは断念している。
本当はランニングこそやりたいんだけど。
一応出来ないことはないんだけど。ちゃんとした専門家と相談の上、インソールを付けないとダメだそうだ。そこまでやる気力はない。
単純にめんどくさくってだ。

別に痛みがあるわけじゃないんだけど。別のトレーニングをしようかな……

よさそうだと思ったのは、サーキットトレーニングだね。
これは例えば30秒って感覚を決めて、腕立てやスクワットといった、筋トレをまわしていく方法で。心拍数も高い水準を維持できるので、持久力もつくんだと。

さっそくやってみたけど。まぁまぁ楽しいです。
楽しいんだけど。腕立て→スクワット で、いい感じに心拍数が高まってくるが、腹筋をすると、150ぐらいから、110ぐらいまで下がる。

サーキットトレーニングは、一分間での最大値から、それを時間内に割り出して、当てはめていくのがいいそうだ。あんまりよくわからないけど。
6分間やってみて。総じて腹筋の時には、心拍数がガタ落ちしました。
6分間で平均150程度をたもてたが、一切汗はかかなかった。
もっともっと続けると汗もでてくるんだろうけど。サーキットトレーニングの場合、そこまで時間をかけてやらないみたいですね。

筋トレってついついずっとやっちゃうけど。オーバートレーニング症候群ってのもあるみたいです。
疲労回復しきらない上に、運動をしようとしてしまって、かえって効果がでないってパターンですね。
倦怠感とかも起きる。
これは、絵を描く時にもあることなのかな?




上の模写だが。
模写自体が上手くいったというよりも。

始めてルーミスの本を読んで、ルーミスの本を読みながら、なんだ顔ってこうやって描けばいいんだっておもって、ルーミスの手順どおり描いていったときに、そこそこかけた時の感触ににていました。
だけど、元の絵は、髪の毛がすごいと思う。こんなセンスのいい髪の毛かけない。
練習もしてないけど。こんな髪の毛が描けるようになる日がくるのかな。



食事についてだけど。
あまりにも食べなさすぎなのは健康にもよくないし、やっぱり体重は増えない。60キロ台まで落ちてしまった……。
だけど、お腹が一杯の状態ってのは好きじゃない。満たされて何もする気がおきなくなってしまうからね。まぁ1週間に一回とか、そういう日があってもいいのかも知れませんが。

食べる量は増やしたいが、満腹の状態は避けたい。満腹と言うか。風来のシレンでいうところの満腹度50%ぐらいの状態でいたい。

オレはカロリーメイトの一袋(一箱の一袋の2本)と、ピルクルの500mlを飲むだけでお腹が一杯になって、何もする気がなくなってしまう体質なんだけど。カロリーメイトが1本100キロカロリーで、ピルクルが100ml67キロカロリーらしいので、ざっと535キロカロリーだ。

お腹がすいたときにこの量と食べると満腹で動けない。
だから、お腹が結構すいたなって時に、カロリーメイトを一本だけ食べる。
これでどうだろう。

オレは、トレーニングで体重増加を目指して、結局もとの体重を下回ってしまうという逆リバウンドを起こしてしまった……。
体重が下がり続けてるときの俺はやばかった。ほんとに倦怠感しかなかった。それも運悪く台風が続いて、身動きも取れなかったからな。
どっちにしろランニングには行かなかったと思うが。


絵を描く気が復活するまで左手で練習しよう。
何か自分を変えられるきっかけが欲しいですね。
やってなかったことに挑戦するのは楽しい。
すぐに飽きたとしてもね。


横はダメなんだけど。
縦線に関しては、右も左もかわらないぐらいですね。
右で引いたときの縦線のダメさを知っているから。それに比べると、むしろうまいぐらいだ・・。


2013年10月25日金曜日

~~

やばすぎ
こういう立体であるはずって思いが、まったく反映されない。

でもまだましだな。今日は描いたぶんだけまし。

何も考えてはいないけどな。





2013年10月24日木曜日

映画監督としての松本人志

ヤバイ状態だ

何もやる気がしない。
今日も絵を描く気がおこらないなーってくすぶってたけど。
はじめは、絵だけなのかなって思ってたけど。何にもだ。
ご飯を食べる気もしない。

腹減ってるけど。

それで、腹へってるな~って理由から、何にもする気がしない。
オナニーもする気がしない。

でも、ボーっとしてるんだよね。

だけど、別に、ボーっとする気もしないから。
何しようかな → 別に何もする気がしないのループだ。

ということで映画は見た。
これも興味はあったけど、まだ見ていなかった映画『しんぼる』だ。


映画監督 松本人志について

頭頭、SASUKEは、松本人志の映画として、どれぐらい認知され、どの程度の評価を受けているかは、知るすべがないのだが、大日本人から踏み出した、松本人志、映画監督への道に見られる、映画の評判は軒並み悪い。
この『しんぼる』だけは見てなくて、検索をかけたわけじゃないんだけど、youtubeでたまたまそれらしいのがあったら、どうやら映画本編だったので、見てみました。

松本人志は映画監督としての評価が非常に低い監督だと思います。
いかにして、低評価を受けてしまうかという運命については、長くなるので割愛しますが、端的にいいますと、松本人志の神格化にある。これは、アンチもファンも、みんなが神格化している。
誰もが、過去の偉人としてみたいと思っているのに、今、同じ時代に生きていることに、暑苦しさを覚えるのだと。
好きな人も、嫌いな人も、完璧なものしかみたくないから、テレビでの視聴率も低い。
松本人志の面白かった部分だけを切り取ってみたいんですね。
だから、上映中であっても、映画は見られませんね。

松本人志の映画の面白さは、頭頭、SASUKEにほぼ集約されています。
頭頭は、単純に、ちょっと奇妙なショートショートを映像化したもの、という感じです。
場面場面のインパクトはありますが、今から見直して、再評価しないと、内容をわすれてしまっているぐらいの映画でした。
SASUKEは、頭頭のようなインパクトこそありませんが、分かりやすさを重視した構成になっています。松本人志の普段やっているコントよりも浅く、そうとう広いジョークと、テンポのよいストーリー展開ですが。オチは秀逸です。
松本は自信で落語好きを公言しておりますが、その落語好きが行き過ぎたようなオチで話が終わります。
ストーリーがほとんどないような映画なので、当然、オチはストーリーに準じたものではなく、ストーリーの中にただ表れた伏線を回収するにとどめますが。感動します。

どのような感動かというのは、一言では難しい。
松本人志が感動させるときに、どのようなパターンがあるかを考えなくてはなりません。
松本人志があたえる感動とは、おおむね笑わせることなのですが、その笑わせるというパターンでさえ、たったひとつではないようです。

例えば、松本が聞えるか聞えないかぐらいで、ボソっとつぶやいた言葉に、耳をすませてみると、確かに一理あるね、と、その画面の中で宝探しをしたときに、発見者になったようなパターンがひとつあります。
また、単純に松本が場を和ませるだけの、円滑に話をすすめるための、ジョークらしいジョークにアハハと笑みをこぼすこともあります。
反対に、松本が、人の話を円滑に進めないために、どんどん骨を折っていくようなジョーク、これは松本が卑怯な笑いと表現するかもしれませんが、彼自身も得意にしているような気がします。
鋭い観察眼を持ってした、指摘に、身の危険にさらされたような笑い。
単純に、誰もが想像し得なかった情景を、上手く端的に表現した笑いも。
なぞなぞに答えるような、大喜利的笑いもあります。
その、どの種類の笑いについても、面白い。

そして、もっとも印象的な松本人志の面白さは。顔がほころぶような笑いでも、ハッとさせられるような笑いでも、なるほど~と唸らされる笑いでもありません。

夢野久作の小説のなかには、たびたび登場人物が、狂気に打ち震えた笑い方をする表現が描かれています。
目を限界までひん剥かせて、アッハッハと笑うような、狂気を目撃した彼に、その狂気がとりついてしまったかのような笑い方です。その小説に見る、こんな笑い方をする人物は不気味であり、近づきたくない、こうはなりたくないなと思っているはずの人格に、やはり、一瞬させられてしまう。何かに取り付かれてしまったような笑いを、自分自身がさせらる瞬間があるということです。
まさにSASUKEのオチは、常時穏やかに、ほのぼのとしたコメーディー映画が流れていく中で、狂気の笑いによって締めくくられている構成が異常に印象的でした。

ストーリーもなく、ギャグ自体もそこそこの映画SASUKEですが。松本人志自身が、この映画を撮ってしまったことにより、道を切り開いてしまったこと。同時に、その何気なく番組の一企画で作った映画が、越えられない壁となってしまったこと。
はたからみていて、松本はかわいそうな人だ。と思わざるを得ない部分です。
松本自信もその悲しさをいまだに引きずっている。松本をみていて、画面で彼がわらっていたとしても、どこか悲しい気持ちになるわけだ。

大日本人はSASUKEのあってなかったようなストーリーと、ギャグパートをなくし、変わりに彼が浄化してしまいたいのであろう、彼の哀愁をたっぷりしみこませたストーリーがついてまわる。そして、SASUKEのような狂気に満ちた笑いをオチに付けたしたかったが、結局は、そのオチが全く成立することなく、SASUKEの足元にも及ばない映画になってしまいます。
(ただ、大日本人のオチが狂気に満ちたものであったことには変わりありません。ダメだったというわけでもない。)
 しかし、大日本人は、松本が本格的に映画を作製したと銘打ったため、頭頭よりも、SASUKEよりも、瞬く間に世間の知名度をもってしまいます。

大日本人のストーリーでさえ、注意深く追っていかなければ、どのようなものかも分かりづらい映画です。
それは、大日本人は、かつて世間でもてはやされた存在ではありますが、現代での必要性が懐疑的にされているものでした。まさに物語の主人公は、その英雄であった大日本人の末裔、6代目の大佐藤大です。
映画自体が、どうしても、その登場人物に共感できるようなつくりではなく、映画を見ている人にっても、こいつは駄目なやつ、酷い扱いをうけて当然だという印象をあたえます。
それは、物語の始まりが、大日本人を追いかける一人の記者の視点から描かれているところが原因です。
松本自信が非常に人見知りでシャイだという性格は知られていますが。松本は、他人の目から見られる大日本人を描くことによって、どうしても、その内面を探り当てられるようなことは避けたかった。だけど、映画の真意としては、その内面は実はあるよってことなんですね。
その映画の作り方自体、哀愁を感じずにはいられません。
本当に大日本人はかわいそうです。なぜならば彼は、視聴者にも共感されないんですから。

映画は公開した何年か前に一度見たきりでした。何度も見返したいとは思っていましたが、まだそれっきり見返すことができなていない(youtubeとかにないので)もし、今からみたら、全く違う感想を思うかもしれませんが……
今思うことは、この大日本人にも、やっぱり松本人志の面影を感じることが出来るということです。彼は、”松本人志は、昔はすごかった……”というような評価をたびたび受けています。しかし、ほんとうにそうなんでしょうか。
それは神格化であり、過去の偉人化に他ならないのではと思います。

娯楽が分散してしまった現代は、ゲームをやっても、マンガを読んでも、パソコンをしても、遊びつくせない時代です。その中でテレビを娯楽として選ぶ人は非常に少なくなってきている。
それでも、松本人志の面白さは、おのおのの分野で求められていることです。例えば、youtuebを見るにしても、そこに松本人志の姿を見たい。彼の過去の栄光であってもいいから。
まだ、自分の知らない松本人志の面白さがあるならば、探したいと思うはずです。
そうして、過去にテレビの中にのみ松本人志を求めていたものも、それぞれ別の場所で、彼を求めています。

映画『大日本人』も『さや侍』も、そこそこの評判でした。
『しんぼる』は彼の作品の中で、最も評価されなかった映画です。
どうしても『しんぼる』を見ておきたいと思ったのですが。ようやく機械を得ましたので、本当に『しんぼる』は最低の映画だったのかと、確認することが出来たのを嬉しく思います。


しんぼるを見ていますと。はじめは、SawやCubeのような2流映画をわざわざ模倣したような場所からスタートします。
SawやCubeもある程度の評価を集めた映画でした。単純に方法を模索しなければならない映画だったから。その一点のみにおいてですが。
もしSawやCubeが、面白い映画だといえるなら、このしんぼるの導入部分も評価するべきです。
僕はSawもCubeもくだらないと思っていましたが。だから、どうして松本人志は、この映画のも婦から入ることを選んだんでしょうか。

※カット1 しんぼるの松本パート 3:47地点
(すばらしい演技・構図、しかし、ある意味で、静止画である……)



松本人志がどうして映画を取ろうとするのか、理解に困る要因の一つです。その理由は、松本人志の映画に、映像として面白い映像が見えたらないから。
松本人志の中には、おそらく、このような動きをとりたい、というヴィジョンがおそらくない。
ただ、カットとして、興味深いものは多くあります。
松本人志の頭に浮かぶものは、映像ではなく一枚の絵なのでしょう。彼は、それでも映画を撮ろうと思っています。
カット1 3:47は、松本は役者として非常によい演技をしたと褒めたい。
このカットは、松本が壁から飛び出したオブジェに触れ、松本だけの時間が止ってしまった瞬間です。その松本だけが止っているというのを、松本を取り囲むカメラアングルで表現している。このシーンはよい。この演技ができるものは、役者の中でも稀であると思います。
 それは、役者に、突起に触れて部屋の中で起きた現象により、あなたの中での時間が止ってしまいます。と説明したところで本当に時間がとまったように演技をしてしまうからです。
松本のこの演技は、どこか決まっているのです。彼の中で実際には時間は止っておらず、彼は固まっていますが、彼は見ている。そうでなくては、理解し、時間が動き出したと同時に、叫ぶという演技まで繋がらないからです。
 それでも、この構図は、アングルさえ変わりますが、映像ではありません。
まるで彫刻を、見回しているようなシーンです。
松本の頭に浮かんだのは、この一枚の絵であるに違いありません。決して映像ではなかったのです。
つまり、演技の指導をするならば、本来とはかけ離れた注文をしなければなりません。あなたは、突起物を押し、一枚の絵になるのです、と。

松本は、自分の思い描いた絵に、上手く溶け込むことができました。松本が演じるほかに選択肢はなかったのだと思います。松本はこの場面に適切な役者でした。高度に絵を演じたのです。それでも、俳優としての評価など、0といっていいでしょう。
そもそも、誰も、映画としてはみていないからです。


※補足
つまり、動画的な演技といえば、実際には動いている空間で、止っているという演技をしてしまう。しかし、静画的演技の場合、止っているという、動的な演技が必要になる。
動きのない絵に対しては、動きがないね、と評価されてしまうから。


しんぼる4:20秒までみた感想。


ここで、自分がみているしんぼるは、松本パートだけをまとめたものだと気付いて。ちゃんと最初からみなおしましたが。
松本パートはかなり面白いと思いますよ。
泣けるし。
すしを食べるシーンとかすごいなけるんですよね。

その直後ですが。すしを食べながら、うんうん、うんうん。って言ってるんだけど。
すげー振ってるなあ、何をそんなにハードルあげてるんだろうって思ったら、思いのほかベタな展開になって、笑えました。
これって単純におもしろいし。穿ったみかたをしても面白い。かなり高度な笑いなんじゃないかなと。
松本がたまに高度な笑いと自分のセンスを自負するようなね。
だって、何回見ても面白いからね。フリがやばいです。


まぁ、映画全体としては、面白くないっていわれてもしょうがないですよね。
だけど『しんぼる』を見終わったとして、映画について論じるときに、おもしろくないだけで終わらせることにはならないと思います。


僕も途中、寝てしまったんですが、しんぼるを論ずる価値はないかなと思ったので。4:20まで見て思ったことだけを記事にしようかと思いましたが。
ネット上に2つだけ、とても面白い解説をつけているサイトがありました。
僕は、再考する価値がないと思ってしまったんですが、みんな、その二つの記事を見ても、しんぼるは最低の映画だったといえるんだろうか。

2013年10月23日水曜日

折り目統一理論

最近やばい
何がやばいって、調子が悪いとかじゃなくって、単純にかいてないのがヤバイ。
明日は描こう、明日は描こうって思ってなかなか描けない。
体力がないんだね。

いきなり走る続けるのが無理なように、少しずつ走れるようになっていくしかないのかも。
5-6時間描こうって思っても全然ダメだから。息切れする。
以前は全く苦にもならなかったのに、ここのところ、絵を描いている時間がどんどん短くなってきていて、体力が落ちてきたのかも。

今日も、明日は絶対描く・・って思って布団に入ったけど。
やっぱり30分だけ描こうと思って起きた。
今日30分は絶対に机に向って描く。それで、明日は1時間描こう、どうしても無理なら1分でいいから、時間を増やしていこうって思って。
そうやって少しずつ集中して書ける時間を増やしていこう。


二つはちょっとだけゆっくり描いた。だけど、今みなおしたら、論外な間違い方してる。
描いているときも上手くいかないなって迷ったんだけど。左右対称のポーズの時に、パースのラインが見えておらず、左右対称になってない。
肘が顔の前にでているという前提にすると、位置もおかしいしな。
まぁ、こういうのは絵が上手いひとなら絶対にしないようなミスなんだろうな・・・。

体の部分的な形が分からないとかなら救えるんだけど。適当に〇とか△とかを画面に配置するのだって、思い通りにはいかないから。
そうい練習から始めるべきだったのかもしれませんが。〇とか△とかを自由に配置できる意味は分かりません。
パースっていうけどさ。パースって一言で片付けられるほど簡単な言葉なんだろうか。

絵の描き方、教え方って、そういう批判は数多くしてきましたが、一言では無理でしょ。




「このブログに記述される僕の言葉が、日本語としても機能するはずだ」という確信をしてしまっています。

折り目統一理論

で、最近はちょっと思うことがあるんだ。
折り目な。
線画ってのは、折り目がすごく重要になるとおもうんだけど、そこに今まであんまり気が付かなかった。シルエットが重要だってのは結構前から気付いたんだけど、この折り目も2番目ぐらいに重要だ。シルエットが1次元だとしたら、折り目でついに2次元目に入るから。
シルエットを除外したら、その折り目が1次元目だからな。
で、この折り目のつき方がどうなるかってのがそうとう難しい。いや、だけど感じれば簡単なんだ。
つまり、いつも手本を引っ張り出さなきゃならない状態を避けるなら、覚える必要があるってこと。
そこに法則性のようなものが見つかれば、きっとどんどん吸収していけると思わない?

これはあってるかどうか分からないことなんだけどね。

ほとんどのモノが、超記号化すると、立方体になるってことは知られている。そこまで構造物らしいモチーフは、なかなか見つからないんだけど。それでも、立方体のシルエットも描けないし、折り目もつけられないってことは、絵描きにとって、致命的なこともかも知れないな。

ただ重要なのは、立方体のシルエットで、もっとも難しいのは、アイレベルを統一することにある。折り目自体は、そこまでは難しいものではないんだ。アイレベルを統一するってことと、シルエットが描けるってことが出来ていればだけどな。
立方体というよりも、何かのシルエットを描こうとする時に、もっとも重要になる概念がアイレベルってことだ。アイレベルがずれているので、シルエットもおかしいって現象がでてくる。
つまり、シルエットのどこかがおかしいと感じたら、かならず統一されていないアイレベルがあるってことなんだ。
シルエットを描く時に難しいのは、決して線を引くことなんかではないってことだな。


絵を学ぶときに、パースが大事だからといわれても、それを学ぶ気になれるもんじゃないが、パースの中で重要なことだけは、是非とも知っておきたいと感じるだろう。しかし、絵を教えてくれる人が必ずしも、その重要な部分を抽出できるとは限らない。むしろ、出来ないので、パースが大事だといって突き放してしまうんだろう。

折り目の重要性と、難しさを説明することは、なかなか困難に思える。
誰もが間違えないと思って見落とすし、難しいとも思えないからだ。
しかし、100発100中で折り目を間違えないってことは、おそらく誰にも不可能なことだと思う。
間違えたことを理解できれば何も問題はないけどね。
間違いに気付かない、間違いをどう修正すればいいかわからない、そういう時に折り目が違うかも知れないと、思うことすら出来ないのは悲しいことだろうね。
そこで、パースは正しいのか? と見直してみるように、折り目が正しいかどうかを見直せるやつになりたいだろってこと。

シルエットと折り目を同列に語れないのは、シルエットが総合性を表すのに対し、折り目が局所的だからではない。
シルエットの方が重要であるのは、折り目が単に、シルエットの中にのみ存在するという理由があるからだ。シルエットも折り目も、全体を明らかにする要因のひとつだから、シルエットの次点に大切だと思うよ。
また、シルエットを描く技術なくして、折り目を描くことはできないだろうね。なぜならば、折り目は、ある意味でシルエットと同議であり、同じ技術を使うものなんだからね。


左上に描いたものは、折り目の基本形だ。
形あるものの基本を、立方体で捕らえることが出来るように、折り目も、形あるものの中に現れるようだ。

それから、いくつかのイラストを参考にして、折り目がどのように応用されているかを描いてみた。
中でも赤で囲んだものは、最も折り目の技術が重宝されるところ。
青で囲んだところは、顕著に、折り目の特性が現れると思ったところだ。

以前ブログで、円柱に描かれる線が、何を表しているのか、という記事を描いたが、そこでは上手く説明する知恵がなかったので、明らかにしなかった。今折り目という言葉を発明したので、簡単にいえる。まさに円柱には折り目が描かれていたんだってね。


折り目について熱心に話したが、そもそも、折り目がどのぐらい応用のきく技術かってことが大事に思うね。それには、僕も実のところはよくわからない。折り目の発見はまさに今したばかりだから。
いや、うすうす以前から、何かひっかかるものはあったと感じていたが、完全にひとつの理論としての道筋が開けたというのは今だから。
分からないことばかり。まだ検証していない部分の方が多いかもね。

例えばこれから研究してみたいと思うのは。
折り目は、いつも決まって、おなじような規則性を持って、表れるか、ということだ。
折り目が現れる立方体は基本形と説明したが、いつも決まって、同じ折り目をつけるんだ。
これは、同じシルエットのときには、必ず、同じ折り目がついているって意味だぞ。
そこで、立方体がそもそもモノの基本的な構造物のひとつであり、応用可能なモチーフであるならば、この立方体のシルエットはもとより、内在する折り目自体も、応用可能であるはずだ、と考えたわけだ。

また、パッと今日の思いつきで、折り目といっているんだけど、そもそも定義があいまいなので、それもはっきりさせたい。なので説明には絵を描くほかにないのが気がかりだな。
というのは、折り目ってことを、コレっていうふうに、指で示すことはできるが、それ以外の説明の方法、特に文字で表現する方法に困っているところだから。
それに、どうしてそこに折り目が表れるかってことだって、分かっていないからな……。


だけど、図形が複雑になるほど、シルエットは力を失うが、折り目は力を増すよ。





2013年10月22日火曜日

サボリ モートンフット

1.5キロ完走した・・・

死にそうだった。

心拍数はスタート時160ぐらい、高い時190越えてた。

1.5キロって短いけど、ほんとに完走することだけを目標にして自分的にはゆっくり走っていたが、途中で抜かしてくる人がいて、それにちょっとつられてペース上がったかもしれない。

時間は10分22秒だった。
遅っ
死にかけだったのに。
小学校のときか、中学校のときか忘れたけど、7分15秒とかだったと思うんだけど・・・。


体力的にはあんまり代わり映えがしませんね。
食事を変えた方がいいかもしれない・・。



走るの楽しいんだけど。
これから走り続けられるのかも疑問です。

というのは、足の指の形が悪いんですよね。
調べてみたら、モートンフットっていう足らしい。
しかも、自分で見れば見るほど、異常だ、この足は。
通常の足って、中指よりも親指の方が長いらしいんですね。
こんな常識も知らなかった・・・。

ていうよりも、足って、親指が一番長いんですね。ほんとかよと思って、グーグルの画像検索で調べてみましたが。みんな親指が一番長い。
足の人差し指が長い人もいましたが、それもほとんど同じぐらいって長さで、僕の場合は、人差し指が異常に長いです。その次に、少しだけ中指が短くて、次が親指って感じです。
親指は人にくらべると、かなり短い気がする(人差し指・中指が長い?)
だけど病気ではないらしい。

こういう足のことも知らずにずっと生きてきたんだな・・・。自分の人生をすごく後悔してますね。思えば、自分の足に合う靴がどうしてもなかった。どのくつも、足の先端の部分が窮屈に感じていたし、店員と相談しても、そのうちになれるとか広がってくるとか適当なことを言われて買わされてたな・・・。
すげーつらいわ。

なんで、モートンフットかも知れませんねって、足の形見てみましょうかって、相談にのってくれなかったんだろう……。
まじで殺したくなってくるわ、靴屋の店員とか。

ランニングシューズ買ったときもそうだったな。
靴の先がやっぱり窮屈に感じるって言ったんだけど、モートンフットだとかは、何も言わなかった。少しだけ先が広めの靴を用意してくれただけだったな。
はぁ……。

まあ、なんで足の形が気になってきたかっていうのは。4日ぐらい前から、なんか、走ってるときに足の指が捩れるというか。薬指が中指の下敷きになってしまう感覚があったからなんだけど。
今日、家にかえってきたら、薬指の爪が全部内出血してた。
真紫になってた。
中がぱんぱんに腫れて、爪がはがれそうだったよ。

これがモートンフットの弊害なんだな・・・。
爪に内出血がでるなんてことは、ランナーとしての勲章でもあるそうなんだけど。そうじゃないだろ・・。正しく走ってないからだよ。
足の形を理解してなかったから……泣

まぁ、自分の足のことだから、分かってない自分が悪いんだけど。
悔しいよね。


2013年10月21日月曜日

泣きそう

絵の調子悪くって泣きそうだ……。
まぁ模写した絵みたいにいかないってところで泣きそうなんだと思うけど。
当たり前なんだけどね。
そんなにすぐに描けるようになっちゃったら、もとの人の努力が報われないからね。



心拍数150付近をキープしてランニング

走ろうと思ったが、走ると170ぐらいまであがり、さらにペースをあげるとすぐに190まで上がる。
その人の年齢にもよるんだけど心拍数190以上は絶対上げちゃいけないラインという指標がありますね。180超えるのも危険っちゃ危険なので、越えないほうがいいですよというライン。

しかし、早歩きをしているだけで145~152ぐらいでます。
だけど、このペースなら歩き続けていられそうだなって思いましたが・・・。それでもずっと走っているうちに、体調に変化があらわれて、その細かい変化が積み重なって、バランスが崩れていくんでしょうが。

150をずっとキープして走っていると、頭が沸騰しそうになりますね。
こういう感覚って本当にあるんだって思ってびっくりしました。
結構意識が朦朧としてきて。
あんまり見てはいないんですけど、脳みそはちゃんと道をわかっているし、地面を踏みしめる感覚や、足を蹴り上げる感覚、さらには呼吸を吸ったり吐いたりするペースをきちんと守ることは出来る。
一次元別のところにいる気分になります。
それが低いか高いかは分かりません。

まぁwikiによると150までは有酸素運動なので、この心拍数の範囲内で走れるからだを作りたい。
今のところ早歩きレベル1で150をギリギリ割るぐらいで、早歩きレベル2に移行しようとしたところで150を超えてしまう。



ランニングコースの一区間である650mは余裕で走れて、さらにまだまだいけるよって感じではあるんですが、心拍数は190まであがるので、怖くてできませんね。まぁいつもこんな感じだったんだろうなと・・。
進歩は見られません。


まあ早歩き程度で150出ちゃうとか、運動不足すぎだろ・・オレ・・って思ってたけど。すこし調べてみると、単純に栄養不足って線も出てきましたね。
僕あんまり食べないからね。一日一食だし。
今ざっと計算してみたが、だいたい1000~1200カロリーぐらいしか摂取してない。

こういう状態で筋トレしても、筋肉が落ちる筋トレになってしまうらしい。
ハラハラ





2013年10月20日日曜日

白線のパース

体重は62.2キロだ

増えてない。しかもプロテイン飲んだ後計ったのに!!
一時期65キロ近くまで行ってたのはなんだったんだろうか。
無理に食べまくるようなことはしないけど。


心拍数やラップタイムを計れる腕時計が届いた。
これで、心拍数を管理しながらトレーニングできますね。ずっと欲しかったんですが、本格的なのは高いし、安いのは評判悪いので迷っていたんですが、よさそうなのが見つかったので買いました。

さっそく平常時の心拍数を計ろうとして、心拍計とにらめっこしているんですが、数字を見ていると、自分の変化に応じて真p0悪系の数字も動くので面白い。


安静に安静にっておもっても、緊張しちゃってあがっちゃうし・・・、なかなか普通の心拍計を見ながら落ち着いた状態に持っていくのが難しい。
これは心拍数の不確定性を表していますよね。

これは体の温度を測ろうとしたときに、温度計を腋に挟むと、温度計のもつ温度によって、体温が変化させられてしまうため、精密な体温が結果として得られない現象と一致します。

心拍数を見ながら心拍数を計ると、心拍数を計られている事実が、心拍数に影響をあたえてしまうって事ですね。まぁ、なれてはいけるんでしょうが・・・。ほんとうかな・・。

心拍数を見てると、緊張してあがっていく心拍数に気が付いて、笑ってしまうんですが、そこで笑うともっと跳ね上がるんですよね。おかしくってしかたがない。
自分にもしトレーナーがついてたら真面目にやれってなぐられてるところですが、無理ってものですよ。

あとなんか、息を止めてしまうんですよね・・・。

すこしつけたまま運動してみたが、心拍数を上げるのもなかなか大変だと分かった・・。


ただ自分で脈を計ってみた場合と少しだけ違いはある・・。
機械ではかるとほとんど70後半から80、何かしら異変があると、すぐに反応して急増するという感じだったが。

自分で平常時に指で計ると67程度だった。(平常時とはいえない、ちょっと緊張してはいる状態だったけど・・。)


走ったが、心拍数はうまく計れなかった・・。まぁ安物だしね。
計れるときと計れないときがある。なれるまでに時間がかかるかも。

いつものコース、約3キロ程度を歩く。
650mを久しぶりに完走した。体力は残っていたが、一区間という区切りが、それ以上を走らせる気にさせない。次はこの壁を越えるのがいいと思うが。今日は足の状態がかなり良くなっているのを確認できたので、悪化させたくなかったので、走るのをやめたのもある。
スプリントできない状態だったが、出来るようになりました。
ただ、相変わらず筋肉痛は残るので、取りたい。
筋トレがよくないのかな~~。

体は異常なぐらい柔らかい。
異常っていうか、もともとかなり硬いと思ってたから、前屈で手が地面につくのが信じられない・・・。
アホみたいな話だけど、頭に足が掛かる。ヨガー

もしも、今、体が硬くって、柔らかくなりたいと思っているなら、2週間だけでいいので、一日20分程度ストレッチをしてみてほしい。
たった2週間だが驚くほど変わる。

おすすめは肩甲骨と骨盤に関するストレッチだ~~。

180度の開脚が出来るようになったわけじゃないけど。
180度足を広げるのって、背中とか腰が柔らかくないと出来ないらしい。

本気で目指すなら一日1時間ぐらいかけてするみたいですね。
僕は運動前10分 運動後10分程度ストレッチしてる。

まぁでも本当は分からない。
下品な話だけど、女性器をおもいっきり拡張するでしょ。
それって、慣れもあるんだろうけど、その日だけなんだよね。すぐに柔らかくなって広げられるようになるってだけで。
女性器をその日ガバって拡張したとしても、締りが悪くなるわけじゃない。その日は悪いけどね。
次の日になったらすっかり元に戻ってる。
赤ちゃん産んだからって締りが悪いなんてこともない。そんな人はもともと締め付けが悪いんだろ。




武田弘光リスペクト。
他に尊敬できる人がいないんだけどね。

今日ちょっと分かったこと。
下あごより下に、アゴは来ないんだな・・。下あごがアゴの限界ってことだ。
これは、口をどれだけ大きく開けた場合にも変わらない・・。

当たり前だけど、言葉に出来る喜びは相変わらず大きいです。

当たり前のことしかないんだけど。
絵を描くってそういうことだから。


例えば次のようなことがいえる

今、目の前の道路を緩やかに曲がる白線の内側を描くとする
(白線が2本の曲線で表現される場合の、片方、あるいは、一本の線でのみ表現された白線の場合)

しかし、この線だけでは、白線を十分に表現したとはいいきれない。
※黒いという理由ではない。
この画面に、アイレベル書き込むことによって、はじめて、一本の曲線は、地を這う、道路に描かれた白線として、画面に浮かび上がる。

または、アイレベルという目に見えない何かを描くのではなく、そこに別の物体を書き込むことによって、物体が、アイレベルを浮き彫りにし、その結果、白線が画面に浮かび上がる。

つまりは、白線の内側も、外側も両方を描いた場合、それだけで地面とアイレベルが明らかになり、白線もまた明らかになる手順で、絵が見える。


直感で見た、目や、脳の機能というのは、すこぶる聡明であると分かる。
この解釈がほぼ瞬時に出来るから。

2013年10月18日金曜日

顔の形・・・

63.1キロ

体つきがよくなった気がする。何をするわけでもないが、普段の生活のなかで、感じます。
首周りの感覚がずいぶんと違います。

足とかもだけど。足は、常に筋肉痛だから分からない。
関節にくる痛みはやっぱり怪我したからなのか。それとは別に、肉自体にも筋肉痛が常時溜まっている。それでも走りにいってるけど。走ることは出来ませんね。
全体的に、なんか皮膚が足りてないって間隔がするんですね。
筋肉でつっぱって、皮がパンパンになっています。

今日は夜歩きにいって、雨が降ってきたけど、あんまり気にせずに歩けました。2キロぐらいを14-2呼吸で走破し、息切れもほとんどしませんでした。
だけど、ずっと続けるのは大変かもしれませんね。最後の方は一杯一杯になってました。14-2を試し始めて最初の頃は、とても無理だと思っていましたが、ずいぶん感触も変わってきました。あれ? 続くなって。
体力的に何が変わったとかはないんですけど。単純に良い方向には向っていますね。

ランニングコースの折り返しまで歩いて、そこから走ろうとしたが、今までになかった、膝に付加がかかる走り方になっていて、これはさすがに危ないかなと思って、走るのは断念しました。
悲しい。
単純にフォームが悪いってことでもないのかもしれません。
そこで思ったのは、自分のバランス感覚について。
平衡感覚が全くかけている気がします。
見ている空間を感じ取ることができない。脳みそが揺れてる。何気ないところだけど、バランスの悪い走り方になっているのかも・・・。

筋肉痛にもあるのかな?
自分が思っている以上に、はねていないんですよね。
上に飛び上がる力が無い。これは疲労によってなくなってしまったのかな・・。
飛び上がる必要はないんですけど、自分が思っている滞空時間と、実際の滞空時間にズレがあって、それが関節に直撃している気がします。

色々可能性があるんですがまぁ全部なんだろうけどね。






顔の形について・・。
今までずっと勘違いしていた。
こんな致命的なミスをしていたなんて・・・。ふぁぁ・・。まぁ、あんまり力いれてなかったところだけど。

体と分離して考えていましたから、どうしても体と繋げるときにおかしいなって思ってたんですけど。なんとなく分かったのかも・・。




2013年10月17日木曜日

久々にブログ

気付いたら10日ぐらいブログ放置してた。
ブログ書くのが結構めんどくさくって、まとめて書いちゃうんだよね。
いつも日にちごとのフォルダ作って、そこにメモ帳作ってかいてるから、貼り付けるだけなんだけど。

超省略してるところとか、日本語に翻訳することが難しいところとかある。
外国語でかいてるわけじゃないんだけど、自分語で書いてるからね……。

しかも、放置してた最新の日記の内容がクソはずかしいじゃん。
立派な日記が書けた時をひとくぎりにしないとなっ



よくあるガニ股のポーズをラフで描いてみたが、よくよく考えると、足の形はコの字になっているようですね。自分で、足の形を作ってみたんですが、あんまりわからなかったけど。
まぁ、ラフで分からないなってところは、似たようなイラストを見たときにそっかーってなれます。

足の位置関係の難しさはあるんですが。どんだけやわらかいんだって感じで描いてしまいがち。どうも、そうとう無理のある股関節の開き方をさせてしまいます。
足が上に向いている場合だと、ごく自然に開く角度だけど、そのように描いてしまいますね。

資料欲しい。自分が欲しいって思って資料が、一瞬で手に入る機能ないのかな。何についてる機能化はさておき・・。


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62.4キロ → 風呂に入ったら61.7キロまで落ちた。
お風呂って結構体重落ちますね。
う~ん。体重が、計り始めたときに戻ってしまった。
一時の勢いはなんだったのか。64キロ台まで上がっていたのにね!

腹ペコ+喉殻からの状態で計ってはいたんですけどね。

お風呂上りに、コンビニまでいって、足の状態をチェック。完全に走れる状態まで回復しましたが。すこし小走りをしたところ、今度は膝に負担がかかっているような走り方になってしまった。フォームからやり直さなきゃね。

後は、走れないときにやっていた、筋トレの筋肉痛が取れれば完璧です。
筋トレはなんだかんだで効きます。
全然筋肉がないからなんですが、走れないときは、もう足も手もだるくなって、疲労骨折の寸前まで筋トレしています。
まぁ、もともとが弱いので、その限界っぽいところにはすぐ到達するんですが。

体は信じられないぐらいやわらかくなってきました。
肩甲骨と、股関節の柔軟性を重点的に、あとは、前屈や上体そらし(?)やってます。
大臀筋のストレッチもほどほどにやっているんですが、かなり満足がいくところまで柔らかくなって、物足りないです。
ストレッチって他にどういうことをするんでしょうか……。
5種類ぐらいしかバリエーションがなくって、分からない。

2013年10月16日水曜日

運動とセックス

悪化?

治ったな~って思って、走ったら、また無茶しすぎたかも。
体全体が重い。
風邪を引いた時みたいに。熱自体は3日ぐらあるんですけどね。

手とか足とかが、ずしんって地面に落ちていくような感覚です。

これって、体が重いって状態なの?
だとしたらヤだな・・・。

筋トレは軽めにするように心がけていて、筋トレ自体の筋肉痛は起こらないレベルだ。


無茶したってのは、夕方に散歩にいったんですが、その時にまぁいつもより早歩きをする感じで歩いてたら、そうとう調子が良かったんですね。上手く歩けているような感覚がありました。
普通に歩いてるだけでも、自分がどういう状態かとか、正しく歩けてるかなんて考えていると、楽しいです。それで30分ぐらい気持ちよくあるいて帰ってきて。
夜になって、そろそろいけるかなと思って、走りにいったら、やっぱりダメだった。

痛みとかはないんだけど。走ると一歩ごとに、すごく負荷をかけた筋トレをした時みたいに、足全体の筋肉に効いてきちゃって、体は全然疲れてないし、息切れもしないんですが、足だけがすごく辛い状態になってしまった。

まぁでもあれですね。2週間程度ですが、毎日ストレッチすると、体はかなりやわらかくなりますね。
ストレッチも、自分なりにこうしたほうがいいんじゃないかってやり方でやってる。
静的ストレッチだと、伸ばしたことに特化することになるんですが、僕はそれでも間違いじゃないとは思いますが、基本的に筋肉というのは伸縮なので。縮のほうもストレッチでやるってことですね。
だけど、動的ストレッチではなく。静的ストレッチと組み合わせる。
ま、前屈をする時とかに、伸びてきたなって思ったら、一度屈伸をするってだけなんですけどね。
一回屈伸をした後は、かなり伸ばせるようになってる。
何度か繰り返すと、はじめより伸ばせなくなるんだけど、それを越えたら、また伸びるようになります。
正しいかはしらん。


思うに、彼女がいるなら、絶対に彼女と一緒に軽く運動をするべきですね。
「ねぇ、今日は一緒に運動してみない?」っていったら、たぶんいいよって言ってくれるだろうしね。
運動が好きな彼女なら、ノリノリかもしれませんし、そんなにやったことないけど、興味がある子もいるだろうし。彼女のタイプにもよりますが、シェイプアップしたいって密かに思っている子もいるでしょうし。
あんまり断られるシチュエーションが思い浮かばないんですが、運動自体がくだらないもの、自分にとってよくないものだと思ってる子がもしいたら、断るんでしょうが・・・。
まぁ、それは、会話の中からなんとなく分かりそうなものですが。

単純に、遊ぶ目的が増えるってこともあるんですが、一番は、自分の体の可能性を知って欲しいってことなんですよね。
女の子って、みんなアクロバティックな体位で犯されるのが好きでしょ。これはセックスのときだけじゃなく、前戯をする場合でもだと思います。(だけど、意味がある体位じゃないとダメだけどね。)
僕は女の子にふれるときに、その体位の意味を重んじますが、女の子がわりと、自分がどういう格好になれるのかってことを知らない場合が多いです。つまり、はじめに、ある格好になってねってことを、細かく教えてあげないといけないんですね。
(腕はもっと前だよとか、バランスを上手く取れるように、重心を考えてあげるとか)
まぁ、それはそれで、優しさを感じるかもしれませんが、彼女の方が自主的に、こんな格好はどう? と提示してくれるようになるのが望ましいわけです。彼女が、おっぱいを触って欲しいとか、お尻を触ってほしいとか、自分の格好に意味づけをするようになるんですね。
まぁ、3回・4回とセックスを重ねるうちに(いやもっとかな?)今日はこんな感じでお願いしますってなってはくるんですが、結局新しい可能性と言うのは、はじめは僕のほうから開いていかなきゃいけないわけで、彼女の中で、体位は、意味ではなくパターン化された、単なる記号になってしまいます。
実際に自分の体がどれぐらい動くとか、運動してみると、本能的に、この動作は、セックスに取り入れられるなってことが分かってくるんじゃないかな? 体はこういうふうに動くんだってことがね。その機能の理解というのは、僕のほうにも影響する。私がなりえる体位というのは、僕もなりえるのだ・・・という事がわかると。私の体位ではなく、僕の体位も考えるようになり、上から覆いかぶさってほしいと思った時にも、どのように覆いかぶさって欲しいのかと、自分の体位を通じて、あらわにすることが出来るってことですね。
だから、ちょっと体位かえよっか? って(口には出さないけど)なった時に、おそらくは、僕の動きをみて、瞬時に判断し、自分がなるべき体位を見つけ出す。そして、私の工夫する体位によって、新たな提案をしたり、変更を加えることができるようになるんじゃないかな?
そこで、言葉なしに、体勢だけで会話が成立するようになる。
その後に、言葉で補足をしてもよいし、もし自分が思っても見ない、みだらな格好をした場合、褒めて上げられる要素になるからね。

(体位の意味ってのは、どこにスポットライトを当てるか、どこを中心に愛撫をするのかということだと思います。セックスの場合の体位ですと、子宮や女性器を誇張させた体位がいいのだと思います。
キザなやりかたになりますが、キスをする場合に、アゴをもってするのは、顔にスポットライトが当たるから。僕がそうするかどうかは別としてねw)

後は、抵抗がある体位も少なくなるんじゃないかって気がします。
あんまり、変態みたいな体位だと嫌がられますが、一緒に運動することで、多くの抗体を取り除くことができます。
ハンドニーストレッチって運動があって、力の弱い子でも出来るものですが。四つんばいで片足を後ろに高く蹴り上げる動作を繰り返すものがあります。これは、ヒップアップにすごく効果があるんだよっていって教える。動画とかもみせればいいと思う。

まぁそうすると、四つんばいって姿勢には、そうとう抵抗をなくすと思います。
それから、難易度の高い、犬がおしっこをするような体制を取らせることもできますよね。
「この前運動したときに、似たようなのをやったでしょ?」っていうと
いや~んって言いながら、足があがるから。
姿勢自体に抵抗をなくしても、このポーズが恥ずかしい体勢だってことが変わるわけではありません。
それから、次に運動をするたびに、エッチな気持ちも蘇るでしょうしね。
どんどん変態になっていくこと間違いなしです。




もう、ずっと分かってることではあるんだけど、顔をかいて、それをどんどん下におろしていくと。
体が勝手に回転していくんですよね。
同じ面が、同じだけ見えているように描きたいのに、傾いていく。
そして、今までは、あまり見えていなかったはずの面が、どんどん顔をだしてくる。
脳みその中では、これはパースの影響なんだという、意味の分からない解釈になっていて。
まぁ、あと30秒も考えてかけば、そうはならなかったんだろうが。
そのいつもやってる間違いを修正できない。

かと思えば、その間違いだけはなしなって思いながら描くと、まぁまぁよくなったりもしますね。
美術解剖図やりなおしたい。