2013年9月20日金曜日

POISON GIRL BAND

すげぇなぁって単純に思った。
お笑いの批評とかばかばかしいが。

それが、笑える笑えない以外のところで感心させられますね。
彼らが意図してるものとは違うかも知れないけど。





長編マンガを相方に貸すネタなんだけど、1巻を読んだら次に2巻を読んでくれ。というんだよね。
1から48まであって、それを順番に読むと、面白くなるように作られてるんだって力説する。
作者も考えたねって。

これって、当たり前だけど、数字の概念を知らない人にも分かることなんだろうか?
数字を知らない人にとっても笑えるのかな?
自分が何歳からマンガを読み始めたかは分からないけど。
1巻を読んだ後に2巻を読めるようになるレベルってどれぐらいなんだろうね。

でも、誰もがそうできるって思うから、笑えるじゃん。(いや、まったく笑いという意味での面白さはないんだけどね)当たり前体操みたいなもんだ。
人間の原則として、そうできてるよって感じじゃない?
赤ん坊でもそうするんじゃないかって思うじゃん。
1巻読んだら次は2巻だって。

つぶあんが面白いんじゃないよ。
つぶあんのつまらなさは異常だ・・・。なぜかそこそこうけてるけど。






後はしりとりをして、単語を一個一個解説していくやつ。
りんご知ってる? ごりら知ってる? こういうやつだよって説明するネタだね。
お前が本当に知ってるのかな~って、心配になっちゃうやつね。

これも、ネタ中には、本当に簡単な名詞について、本当に知ってるのかって疑問に訴えているけど。実のしりとりでは、進んでいくにつれて、その単語について本当に知ってるのかって疑問をもつことが増えてくるんですよね。
お前知らねーだろってね。

左「ゴリラ見たことあるのか? 動物園で見た? どうせチラ見だろ?」
右「動物園でチラ見するやつはいねーだろ」

って掛け合いがある。
しりとりで言葉に詰まると、どうしてもチラ見しかしたことがない言葉を言わざるを得なくなってくるんだよ。

左は、しりとりが好きで好きでたまらなくって、幼少の頃は家の中でずっとしりとりをやってたっていう子なんだよ。だから、ちょっとやってみようって提案から始まる。
だけど、左のしりとりに対する熱意と、世間がしりとりに対して冷め切ってしまっている温度差がどうしてもすれ違うことになるわけだ。
ちょっとしりとりをしようぜといって、誰も本気で取り組むやつはいないから、しりとりの”り”から始まって、どうせりんごだろと、思っているところ、熟考してりんごというから笑えるわけだね。(実際にはここが笑えるポイントではないけどね)
だけど、この段階でどれだけ、左の方がしりとりを大切に思っているかってことは伝わってくるわけ。これがフリになってるって言えばいいのかな。

りんご、ごりら・・。のような、ある種の定跡は、そこで自分が言葉を選んだという、誰にも自分らしさが出せないところなんだよ。それは、しりとりという遊びをひどくつまらないものにしてしまう原因だと思うんだよね。
だけど、しりとりに出てくる言葉の中でいくらでも楽しめるわけじゃん。

右は(ネタを書いてるのはこっちだと思うんだけど)ずっと一般人目線で、早く次の単語出せよってスタンスで、左のしりとりに付き合ってるんだよ。

だから、自分がその対象をどれぐらい知っているか、どこで見たのかと考えることもせず、ごりらと言うので、”ゴリラ”自体に思い入れも持てず、共感したいとも思わず、ゴ、だからゴリラっていうのが当たり前。これはしりとりをする上での、ある種の常識人としての振る舞いとして、ゴリラという。

左が、リンゴとは何か、何色で、他に、どんな色のものが考えられるか、と考えに考え抜いて、”リンゴ”というようには、”ゴリラ”とは答えない。
相手も、自分と同じようなリンゴを想像したかどうか、という振る舞いはないわけだ。
その温度差がすごく悲しいよ。

そして、ゴリラ→ らくご、 から、一般人である右は、また、ゴいう音節から、短絡的に、ゴリラを導き出す。
左は、再度、自分がイメージするゴリラを右に明示するが。
「もういいよ」と締め出されてしまう。





今日は絵を描いたな~~って思える日。
そういう充実した日ってのはなかなか少ない。
絵を描いたなって思える日は、作品自体が進んだ日。
なおかつ、絵の練習もたくさん出来たなって日だ。
つまり、一日中絵を描いた日は、充実したなって思える。
しかし、そんな日はめったにない。
今日はあんまり絵を描かなかったなって思う日しかないな。
オレみたいなダメ人間は生きてる価値ねーなって思えてくる。

絵を描く仕事をしている人は、いつ絵を描いてるんだろう・・・。
知らない間に自分の絵が出来上がってるようにしか思えないが。
オレの場合とは違う。


ペンで、一発描きするなんてやりかたは、否定的な手法だったが。思った以上に、何か感じられた。分からないけど。このずっと先に、何かが待っている予感がした。
こういう練習方法を推奨できる人はすごいですね。
いや、もはや練習ではないんだけど。

色をぬってもまだまだなかと思ったが。なんか、伸び白がすごく見えるというか・・・。
ものが重なっているところを描く時に、脳みそがざわめく感覚がある・・・。

まぁ、一発描きが出来る理由が分からなかったけど。それは見て描かないからってこともどこかで分かった。
模写で一発描きを、当たり前にこなせるようになったら、たぶん何も見なくても出来るようになるんだろう。

こればっかりは他人に出来るから、自分にもできるんじゃねって感覚になれるものだったね。

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