2013年9月12日木曜日

『色彩の本質』ヤバス

ルドルフ・シュタイナーの色彩の本質・・・・
すげええええええええええええええええええええええええええ

今まで読んだどの本よりもすごいと思った。
だけど、ルドルフ・シュタイナーは絵を描くわけではなく、ただ言葉を操るだけの人なんだけど。
しかし、これは本当にすごい。



絵が一つの表現であるならば、絵は言語化される必要があります。言語化できないものに決して感動することはないからです。いや、感動に説明をつけられることを望むでしょう。自分の体験を言葉に出来なかったとき、その感動はまやかしとなって消えてしまいます。

一本の線がよいと思う。これはおのおのが自由に想像できることで、否定も出来ますが、肯定も出来ます。それから何も感じないことだって出来るでしょう。
感動の説明は、後付されますが描いた本人が思いもよらないほど上手く描けたものがあるとしても、彼がそのまま残したということで、彼は残したものに感動し、言語化したはずです。
でたらめな戦から始まっても、絵心のあるものはそれを上手くまとめます。
これは、線に意味を後付した行為に他なりません。このように上手い人は絵を操ります。
だから、輪郭を、言語のように操れるようになりたいと思ったことが何度もありました。

ルドルフ・シュタイナーの色彩の本質は、輪郭のみならず、色彩についても、言語の様に操れるようになりたいと、気持ちをかき立てられる本でした。
今まで色を塗る行為について、どのように学んでいけばいいかと見通しが暗かったのですが、すこし足しになった気がします。
色彩のようなものを言葉で表現するに至るのかと思いましたが。その内容は極めて観念的。

しかし、言語化とは厳密には、具体的なものに行き着かず、全て仮想の中で、仮定として処理されるものです。
”具体的”とは何かを語るとき、抽象的なことがらを持ち出して説明するしか方法がないように、図説をするにしても、その図とは、あくまでも仮想でしかありません。

ま、そもそも、言葉自体が観念なのですけどね。


絵を始めてしばらく経ったときに、日常に見る風景に、輪郭を見たり、消失点を見つけたりすることを習慣づけようと思ったように、日常の中で色を見ること、色からあたえられる感覚に注目してみようと思います!!




アイレベルより上にあるけど、(人が)俯瞰の構図とか、アイレベルより下にあるけど、あおりの構図とかあるけど。

それって、普通の俯瞰と、あおりを書く場合と、何か違うところはあるんでしょうか・・。

前者は空を飛んでる人とか、後者は寝ている人とかで考えうる。


錯覚で見える白さがエロく感じる。
それとは違うが、白さ? 明るさ? というか。
アクセサリーのようなものは、茂みの中から飛び出してくるような、驚きや、埋もれていた財宝のような輝きが必要なのかと思う。
色彩的にだけど!
だから髪飾り一つとっても、髪の毛の中に埋没してしまうような色ではダメ。キラキラと光を反射しているモノが求められるんでしょうね。
これってあたりまえかな??

明るいものとか。
私はここ、私をみつけて、という叫びの色調にするべきなんだろうね。

逆の効果を出したいときに、暗い色を使うということもできでしょうけどね。

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