2013年9月6日金曜日

教養は役に立つか?


日常に聞こえてくる音を音楽として捉えるのには、すぐれた耳による聴察の能力が必要になります。
私は、聞こえてきた歌のフレーズなどを、そこそこ上手く繰り返すことは出来ますが、これが難しいという人もいますし、もっと私よりも上手く繰り返す人もいますね。
こういうのも絵の上手さと繋がるんでしょうか。
だけど、環境音を、音楽に変えることは難しい。

ダ・ヴィンチは自然物に輪郭はないと言いますが、実際には輪郭として切り離して考えることは可能です。
環境音を音楽に変えるには、どこからどこまでを一つの音節として捉えるか、また、何を音として捕らえるかをみなくてはなりません。ダ・ヴィンチのいってることとはまるで逆のことになりますが、しかし、実際に、私には想像つかない力であると感じます。

これは自然物をみて輪郭を描くのと同じ程度難しい・・・。



映画やアニメを見ていると、教養がなんの役に立つのかとよく考えます。
映画やアニメを賞賛し、学校での勉強を否定するわけではありません。

子供のころ押し付けられた勉強は、誰もが、将来何の役にも立たないことをうすうす感じながらやってきた。しかし、実際に自分のやりたいことが決まると、あの時もっと勉強しておけば良かったと後悔することもあるでしょう。

本は好きだから読んでいました。そんなにたいした数を読んだわけではありませんが。本が好きな人~本を全く読まない人の中に入るぐらいは読みました。
そして、映画はすきでもなのに見ていました。
しかし、学校で出された宿題のように、誰かに強制させられたわけではありません。
もっとも、自分が見なくてはならないと思った、脅迫観念がありましたが……。

私は、本については、歴史が定めた、これぐらいは読んでなきゃダメだろうと並べられた、大半のものに関心がありました。
分かりやすく言えば、必読書のようなものに。
だから、映画にも見てなくちゃ駄目なものがあるのだろうと。それに、話題としては、こちらのほうが上がりやすいのではないかと思ったから。

これはまさに教養だろうと。
そう思って、映画を何本か見たわけです。



アニメやマンガだって、教養といえると思います。
だから、経験したものはすべてそうなんでしょう。しかし、ここでいいたいことは、それらを全て含めて、何の役にたつのかということです。
それがいつ、いかなるときに生かされるのか。やはり、それが不明瞭なまま、しかし、大人たちは教養を持つことを進めるのです。

例えば、ある程度の教養がないときには、人としゃべるときに困る。
いや、そうじゃなくって、今気が付いたのは、媚をうりたい人としゃべるときに困るのだろうなってことです。
でも、実際に偉い人としゃべる機械なんてないしな。

私自身でいくら教養をみにつけたところで、私としゃべりたい人がいなければ意味がありません。
一般的に言われてきた、教養を持てというのは、つまり一般的に言われるのであり、ご多分に漏れ-る。


教養だと思ってやったもの。結果として教養として身についたのではないかと思ったことについては、ほとんど意味をなさない。
共通の知識をもつものと出会うと大きな喜びがあるが、それは何だっていいわけだし。

私にはアニメオタクの友達がいないので、プリキュアの話は出来ないが、しかし他に何か別の話が出来るわけでもない。
むしろ、プリキュアの話をされても、引くだけで盛り上がることはないし。

 そもそもプリキュアについて話せることがないからね・・・。心のそこから面白いと思っていたら、たぶん引かれても良いからその魅力を伝えようとするだろうし。

結局それがないから、作画監督の話をしたくなっちゃうだろうけど。
まあ、そんな話されてもとはなるけど。
でも、プリキュアの話をしたい人で、内容はどうでもいいけど、声優について話したいって人はいると思う。
声優については私の方が分からないんだけど・・・。
ま、声優も作画監督も、プリキュア自体にはあんまり関係ないからね。
それぐらい、つまんないアニメだってことだ。




根本的な疑問があるんですけど。
いまさらなんですけど。
ペン入れするときに、何回かのストロークに分けて線を引くと思うんですけど。
そのつなぎ目ってどうすればいいの?
ピッタリ同じところにペンを置くのって不可能に近いんですけど。
それぞれのペイントソフトにある、ペン入れツールを使わなくっちゃいけないのかな?

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