電王戦とかに感化されているわけじゃないけど。
CPUは人間の思考を超えられるかってこと。どうすれば人間を越えたってことになるのか?
CPUの強みは、ただ一点で演算するってことだけ。
定義されたモデルの中では自由自在だし、その中では人間を越えるってことになるんでしょうけど。
将棋とかはやっぱり、かなり強いんですね。ほんとうに人間より強いかどうかは、私が将棋のプロじゃないから分かりません。
でも、べつにそろばんコンテストにCPUが出たとしたら、優勝するだろうなってことは分かります。彼に字がかけるかどうかは分からないですけど・・。ひょっとしたら人間より字を書くのが遅くてまけちゃうかもね。
CPUだと空間を定義すれば、その中でおこるあらゆる事象でも、経験なしに観測できる。
そのモデルを作ったものとの競争で、そのモデルの中で勝利することが出来ますね。
しかし、彼らがその外を出ることは可能なんでしょうか。
人間の思考は、そのモデル内での演算などとは、大きく違っています。モデルのようなものを作って、その中で思考しようとしたとしても、それとはかけ離れたり、約束を無視してしまったり、一部だけ参考にしたりして、思考するでしょう。
CPUの力をかりて、パスツール、ペジェ曲線で絵を描く。
この絵がどうして面白いのか。
また、これは、人間の敗北を意味しない。
人はCPUが演算した選択肢の中から選ぶからです。
CPUが算出するからこそ、思ってもみない線が出ることもあるでしょう。妥協しなくてはならない線も出ますし、どうしても任せられないところも出てきます。
CPUがペン入れをするわけではありません。もしさせても、よいものが出来上がるんでしょうか。
CPUは人間よりも上手くペン入れが出来るようになるんでしょうか・・。
ましてや、下書きをすることは出来るでしょうか。
意義と意味について考えます。
粘土でエッフェル塔を作ったとき。これは何ですか? と尋ねられ。
粘土とも、エッフェル塔とも答えることが出来るわけです。
この粘土は、意味であり。エッフェル塔を潰して、自動車を作っても、その意味は変わりません。
しかし、意義はエッフェル塔にあり、潰してこねると、粘土に、自動車を作ると、自動車になるというものです。
そこに何が含まれているかで大きな違いがでると思うんですね。
物語の前後とは違う、意味には、意義が含まれる。
絵もそうです。
CPUは絵の評価をすることが出来るんでしょうか。
それには、線の意義が分からないといけません。
それは、(意味としての)線ではなく、おっぱいの脹らみであり、お尻の丸みであり、肌の柔らかさなのか、あるいは、弾力であるのか。
それが、上手く表現できているのかという事まで、評価しなくてはなりません。
線は何を表し、それは何を思って引かれた線であるか。
1本の線に多くの意義をこめられるというのは、すぐれた描き手なんですが、CPUは果たして、そのように線を描くのかというところです。
それから、もっと根本的なことは・・。
誰がCPUの描いた絵を評価するかということなんですけどね。
例えば、CPUが小説を書くようになった。絵画を描くようになった。映画を撮るようになったと。
遠い将来に想像できる話です。
これは、誰にとってすごいのかってこと・・・。
本当に、多くの意義を含んでいるものだったとしても、人に理解できるのかどうか・・・。
もし、人に理解できたとすれば、人はまだCPUに負けてないんじゃないかってことになりますし。
或いは、理解できないので、CPUはまだデタラメな絵しかかけないなってことになりますからね。
そういう意味でもCPUの思考は人を越えられないでしょうね。
かわいそう・・。
色々考えて描いた方がいいって話は、よく聞きます。
だけど、誰しもが考えずに描くわけではありません。それぞれの思いがあって描くんですけど、しかし、自分が持っていないものはおそらく描けません。
何かについてアイデアがひらめいたりするときは。それは考えたからではなく、いつも不意に、それとは別のことを考えている時に舞い降りてきます。
それも、ある種、考えていたのでしょうけど、意識して思考したわけではありません。
意識して思考するとき、そもそもの元ダネを練ることはできても、意識して思考した結果としてアイデアが沸くのかといえば違うはず・・。
(これは、英語がしゃべれないときに、どのように単語を繋げていけばよいか分からないこととほとんど同じことだろう)
絵が上手く描ける人とかけない人の差って、実際に思考していること以上に、意識していない部分でその絵に対して感じているものの差が大きいじゃないですか。
それでも考えて描けっていうし。
オレは考えて描いてるんだぜっていいますね。
彼ら。
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