2013年8月15日木曜日

終戦 終末予想は何故ブームになるのか




1年以上プレイリストに入っててたまに聞いてはいたんだけど3日前に流れてきて泣けてきた。




小学生の時の女友達が25歳になったら死ぬって言ってたの、まあ嘘だろうと思いながら聞いていました。
でも、私自信は、中学生になる前にどこかで死ぬんだと思っていました。
彼女が自殺という意味で言ってたかは忘れましたが。私が迎える場合の死は、少なからず狭義的な意味での死ではありませんでした。
なんらかの要因で死ぬだろうなと。漠然と思ってたってことですね。

あの頃は、中学生になっている自分が信じられなかったし、ずっとこのままのような気がしていました。中学生に変わり果てた私など存在することはないだろうなって。
彼女も同じような気持ちで25歳の死を見ていたのだと思います。

ただいま、2013年です。

2012年に迎える終末予想が少し流行を起こしました。 
いつごろがそのピークであったかは分かりませんが、当の2012年には盛り上がりにかけていたように思えます。
なぜか。2012年が来たからです。




毎年、新しい年など来ないような気がしています。
現実味がないのでしょう。
2013年に思うのは、2014年がこないってこと。
2012年にも同じように思っていました。

私の身の回りについても同じように考えます。
そういえば、隣のクラスなど存在しているのか? と思っていましたし。上級生、下級生などいるのかと。これは思考実験などではなく、そう考えていました。
実際に触れ合っているもの以外は、リアルに感じられないのです。
だから、自分とは別のクラスメイトに違和感を覚えていました。
上級生に対しても、下級生に対しても。なんだこいつは、どこかおかしいんじゃないのか? という違和感があるんです。

そのようにして、いくらを正月を目の当たりにしてみても。来年など来ないと思えてしまう。実際になかなか来ませんしね。

半年前に立てた目標も。半年後は遠い場所だと思っていました。
だから、そのころにはずいぶん目標に近づいているだろうと。
特別過去に興味はありません。
人の昔話は退屈ですし、希望がないからですね。むしろ、希望のある過去について話してる人ほど、かわいそうだと思うことないですから。

これからのことについては関心があります。
技術はどんどん進歩していますが10年後どうなっているんだろうとか。考えることが楽しくてしかたない。
でも、リアルではないんですけどね。

過去はリアルです。
振り返っても、迷ったあとしかないですね。
だけど、上手くなってるだろうなって思っていました。
同人誌も1つぐらいは出来てるだろうなって。
目指すところは決まっていたはずなのに。
迷ったあとしかありません。




半年間よくがんばったと思います。
投げ出したいときもありましたが。毎日欠かさずに絵を描きました。
いままで頑張ってきたじゃないかと。2次元の女の子に応援されながら、なんとか逃げ出さずにやりとげました。
やめてどうするの? と叱咤されたり。
きっともうすぐそこまで来ているんだと。手を引かれました。

いつまで経ってもこないと思ってたゴドーが来てしまい、終戦の日は現実身を帯びてきます。
8月を待ちながら、本当は来て欲しくないと思っていました。
ゴドーが来てしまうと、私達も、行かなくてはならないから……。

それから、もっともっと頑張れたはずだと思って、取り返すつもりで描きましたが。何も変わりませんでした。


未来を予想するとは、激的な変化を楽しみたいだけなんでしょう。
2012年になっても、世界は何も代わりませんでした。終末を迎える気配もありません。
半年後に絵が上手くなるという目標も。2014年に対するリアリティのなさも。激的な変化を期待しているからです。

しかし実際には、平凡に思える日の連続の中で到達します。
そして、想像していた未来とは違う・・・。いや、想像していたこと自体忘れているでしょう。そのときには。


半年頑張って絵の実力をつけたい・・・というのは大嘘で、一瞬であそこまでいけたらなと思ってきたわけですね。

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