2013年8月8日木曜日

上手くなりたいです

それぞれの絵が上達する方法


いまだにトルソばっかりです。
基本として描き続ける部分なのでしょうけど。
本当に満足して描けないので離れられません。
そして、いいなと思っても続きが描けない。

まるで関係のない絵でも、それを見ながら描いたり、頭の中に残しておきながらかくと、心なしか、何も見ずに描くよりもうまく行っている気がするのはどうしてなんでしょうね。
これは絵を描いている時に不思議に感じる加須の中でも、割と大きな謎の部類です。

歪んだ線の下に真っ直ぐ水平な線を引く場合と、定規で描いた水平な線の下に、同じように水平な線を描く場合にもまるで違います。
同じような理屈なのでしょうけどね。

不思議不思議。


思い出し模写って意味あるんでしょうか?
結局、短期記憶で描いているのではないかと思います。
模写自体に意味があるのであって、それを思い出しながら描くことにどのようなメリットが?
別に、ないわけじゃないけど。
単純に絵を描いているという以上に意味はない気がします。

これ以上思い出せなくなったけど、ある程度描いた場合には、短期記憶ではない。
sの絵から想起される記憶で描くことは出来ますが。



これは一瞬だけチラっと見た絵を記憶で描いたもの。
ポーズ自体全然違った。良く見ていなかったからだけど。


記憶力って何か。
私は、以前、ある哲学者が、想像力と記憶力は同じだと考えていたことにハッとさせられました。

想像力は、自分の記憶のみを頼りにしているから。
いや、厳密には、今の自分の環境にも関わるから、正しくいうのは難しいが。

絵の場合。
絵の面白さは、自分の絵は、想像力でも、記憶力でもないというところ。
想像力と記憶力を頼りにして描くが、実際にキャンバスに現れるのは、想像したものとも記憶したものとも程遠い線が。
その線と対話しながら、お互いに歩み寄りながらでなければ描けないから。

やわらかい絵柄には、その対話して、お互いが納得した線が描かれていると思います。
何故、そんな線がかけるのかは分かりませんが。
記号化とかなんだとか言っていたが。
やっぱり意義を越えたところに何かあるなと。

実際に見ても、物の輪郭は、とげとげしく主張することなどないから。




・限界を超えて描く。

限界って何でしょう。たいしたことではないと思います。
模写をするとします。あるいは、自分が描きたいものを描く時に、線を引きますが。
そこで、その線が違うなと思って書き直す。

この線を書き直すことが、限界を越えたことになるでしょう。
絵が上手くなる瞬間。

で、一週間。いや、絵を描き始めてから、繰り返しているが、上手くなってないぞって思う。
いやいや。なってるんでしょう。
たぶんどんな練習方法よりも。



角の二等分線について。
これには、自分なりのコツがありました。どちらか片方の線を延長して、擬似的に二等辺三角形をつくり、分割すれば容易いと思っていました。
関係なかった。理屈は同じなんですけど。
普通にk、どちらか片方の線を使って、直角三角形を作るだけでよかったんですね。
もちろん、あたらしい角が直角になるようにね。

これが角の二等分線になるなんて驚き。
今までそんなことも分かってなかったなんてアホだな。

そういう知識は結局パースにも役に立つから。分かっていないなんて論外ですからえね。
まだまだ、知っているだけでいいって知識でも、知らないことたくさんありそうだ・・・。

というか、こういうのほんとうに乗ってないですからね。
絵が上手くなる方法、毎日のように検索しているのに。
私がまとめてあげたいぐらいです・・・。
三角形使うじゃん。二等辺三角形とか、直角三角形使うじゃん。
アタリとるときにもよくでてくるじゃん。
左右対称に書くのって難しいねって躓くじゃん。

はぁ・・・。
あたりまえすぎて載っていないんでしょうか。
パースで等分線増殖法とかの方が、当たり前に思えるんですけど。
そっちの方が知識レベルとしては上級なのかな?
私が何も知らなさ過ぎるだけ?
頭悪すぎるだけかな。


もしかしたら、平行線とか、円の中心とかも、何か明確なコツがあるんじゃないの・・・。

作図の基本とか。小学校の何年生だよって話だけど。
やりなおしたほうがいいかな。

こういうところほんとうに足りてないから。情けない話ですけどね。



教える人は、少ない言葉数で、多くの作業を強いられればと考えているのでは?
本当に思ったんだけど。

というのは、線を引くとかってのがまさにそうです。
とりあえず、毎日線を引くんです。1ヶ月2ヶ月。これは延々とやりなさいと。

どうですか?
こんなものに終わりはありません。線が引ければよし。
或いは、丸がかけるだの。立方体がかけるだの。同じことです。

それを絵の基本的な部分と据えて、延々とやらせることが、良い指導者となれるわけ。

だけど、まるっきり逆なんじゃないかと。
ある練習方法について、いくら説明できるか。いくら説得できるか。ということが大事でしょう。
そんなものはないんですけどね。
大切だとすればそれ。
今やっている練習方法に、何が言えるのかと。

習字について考えれば 『永』 という字は、いろはを学ぶにはもってこいだと。
点や、はらい、入りなど、いろんな要素が入っているからね。筆で字を書くにおいては。。
一をたくさん描くよりも推奨されるはずでしょう。

だから、練習方法については、もっと複雑に語ったほうがいいし、複雑に語られているものがよいはず。そして、複雑に意識して取り組めればいいんです。

私は、何も考えのない教師から、とにかく線を引けといわれたことを鵜呑みにしてきました。
むしろ、私のほうから、線を引く意味を考えたぐらいです。
色んな種類の線を引いたほうが有意義だったと思うし、線の練習にとくに意味を感じませんでした。

とにかく、ペンと紙に向き合った時間が増えた、そのような結果は得られたと思います。
その時間、ペンを持たないよりもましになった程度です。



八木秀人 スーパー基礎デッサンによると。。
この本はいい本だと思いました。難しかったが。

当然、最初の方に、線を引く練習をすすめている。それがどのようなタイミングで使われ、どのような効果を生み出すかが描いてあった。

線を引き、それに重ねて曲線をひいて、間をぬりつぶすと。隙間がうまれたように見えるでしょう? と言った具合に。
このような素晴らしい説明文を見たことがなかったが。それでもただやみくもに線を引くトレーニングをすすめる一面を持つ。
一生やれとは、言わないけどね。

スーパー基礎デッサンで語られるのは、サザエがかければ何でもかけるという説明。

これは立方体よりもずいぶん複雑な図形に思える。四角よりも。ましてや線よりも。

線が習字の一であれば。サザエを習字の『永』に準えているわけです。

もう、その時点で、線を描く意味なんてないじゃんって思うんですけどね。
それでも、サザエなんて、線の要素の中の一部分でしかないのでしょうし。


(私は線を延々と引いているだけで、超絶な画力が手に入ると思っていたわけではありませんよ
 ただ、おそらく線を引く練習をたくさん続けたであろう人が、何故、その練習方法を人に進められるのかが疑問なだけです。)

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