2013年6月14日金曜日

口だけ




線はあれから、結局ひいてる。
これは劣化したわけじゃない。
俺は縦線と横線はほぼ完璧に引けるようになった。
手をついて引いた場合はな。
大げさに言ってるんじゃないぞ。

今は、手を浮かせた状態でもそれが出来るようにならないか練習中だ。
これは不可能に近いな。
何故なら、手をうかせて、ただ、ペンをついているだけでも、じっとしているのが難しいからだ。
縦線を引く場合はもっと終わってる。
肘の可動が使えない。

やっぱり机に置いた紙やペンタブに描くのは、間違っていると思うな。

カンバスもペンタブも、自分と平行に置くべきだし、ある程度、離しておくのがいいと思う。


イメージして描く。

立体の考え方。

スト3のネクロとか、モンムスは描きやすい。というか、イメージしやすい。

ネクロは二の腕にこぶがあると思う。
それを特徴として考えて、イメージしやすい。

平凡な人間を描こうとする場合、腕や、足に、特徴があるとは思わない。
腕や、足を、人間の特徴的なものと思わない。

巨乳が描きやすいというのは、イメージしやすいからではないですか?





線に情報を入れる

情報の入っている線から、情報は引き出される

人体を単純化して描く、極端なデフォルメなどは、邪道だと考えていたことがありましたが。やっぱりそうではないですね。

輪郭を線で表現することなどは限りなく間違いに近いのだけど、それをよしとする世界です。
難しいことから練習しようとしすぎたために、咀嚼できずに、通り過ぎてしまったものが多すぎる。

究極では、人は、長さ1の線であり。8分割して考えることが可能である。
そのようにして、少しずつ情報を足していくほうがわかりやすかったかも知れません。

だけど、線に頭だけつけて、手だけをつけて、足だけをつけて考えていくと、わかりやすいが、途中で極端なステップアップを強いられる。

なので両側からたどり着くしかないんだろうと。

線から始める場合の、その反対側ってのは・・




観測されなければ、私は霧としてそこに立っているわけだが。
写真に撮られたとき、絵にかかれたときに、私の情報は固定される。
私の位置が決まる。指の位置が決まり、観測者なしでは、私はもやもやと渦巻き、壁の中にいたり、壁を挟んで存在したり、私と同じ位置に、私がいたりもする。
線から始める以外のアプローチはないといってもいい。その反対側は無限であり、不可能だから。

絵とは情報を固定し。私を、絵の中にとどめて置く。
私は、時に、一本の線の中に閉じ込められ、必要に応じて引き出されることになる。
点は私の原始。線は何? 面は、私の霧。

星の王子様という本は大嫌いだが、絵はそもそも解釈するしかない。
帽子ではなく、像を飲み込んだ蛇であれと。

それは言語であり、見るものの読解力にもゆだねられる。
どのように精密に私を模倣しても、私は霧であり、絵は、観測者が見た私、を、さらに解釈したものでしかない。
たいへん上手にかけたウサギであったが、いや、これはアヒルなんだというように。

絵の中に、一本の線が。これが私だとしても。
見たもの自身が書かれていると思う人も、これは私の父だと言う人もいる。

それは固定された私であり。解釈された私。
だから、私を読み取ることが出来る。

絵として、絵が上手くなるということは。言葉が話せる。それは文字であるから。
語彙を増やすこと。また、どのような線が、どのような意味を持ちうるか。
しかし、それは絶えず経験によって、自分自身が逆算しなければ意味がない。

絵は、点や線に、意味を入れる。


どこまで言ってもデフォルメなので、デフォルメに否定的であることがそもそもおかしい。
デフォルメされた絵を目指しているのだからなおさら。



ま、そんなことより、思ったところにいくように線がかけるようになりたい。
かれこれ4ヶ月も練習しているのにな。

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