今日は本当に悲しい夢を見ました
涙もろく、私はよく泣きますが、夢を見て泣くなんて久しぶりです。
こんなショッキングな出来事は大体覚えているので、過去に二回確実にありました。
小学校に上がる前の幼児期に、恐竜においかけられる夢を見て起きたら泣いていたことがありました。
また、小2か、小3の頃だったと思います。
いまであれば表現できるのですが、見失った親を探しに、ハードコアのバンドのライブ会場(地下牢テイスト)のような場所に迷い込むのですが、私は舞台に立たされていて、客席でワカメのようにゆれている観客に、不気味さを感じます。そして、その客の中で、同じようにワカメのように揺れながら手を振る両親を見つけるというものでした。
この夢は怖すぎて、大泣きしたのですけど、両親には嘲笑されました。
今の私が笑うときにそっくりです。
私が今日見た夢は、大好きなお友達のお母さんに、もううちの子と遊んではいけませんと言われる夢でした。相思相愛だった私達は(私がそう思ってるだけなんですが)、悲しくも引き離されてしまうのです。
その夢の余韻に浸りながら、掛け布団を抱きしめていると、涙が溢れてきました。
夢は、トラウマの解消だというのです。つまり、私の中の深刻な問題を、別の形で、夢としてみせることで、また、それが夢だったと思い込ませるのです。
私が解消したかったトラウマとは一体なんだったのでしょうか。
そんな夢をみたからには、もう本当のことは思い出せないのでしょうね。
少年期、特に環境に恵まれていたと思う私ですが、その理由は幼馴染と呼べる家族付き合いが2軒ほどあったからです。
小3ぐらいのころその片方が、小5ぐらいに、もう片方が、引越しによって頻繁に合うことができなくなりました。私の友達が立て続けに引越ししていくような喪失感。
二度と出会うことの出来ないものを感じて泣けました。
考えると、私は引越しによって失った友の数が多すぎたんですね。
幼馴染の他に学校では小2と小3のころにも、最も仲の良かった同級生が引越しをしましたし、私自身も高校の選択によって、住む場所を変え、疎遠になってしまった中学時代の友達は多くありました。
戻ってきて久しく話しても、気まずさが隠し切れない時期だったのです。
パースほんとに難しすぎるんですけど。
理論的にって言っても、いくら地道に、ゆっくりやっていっても、ごちゃごちゃしすぎてしまいますね。
かなり単純な図形でも紛らわしくなってしまいます。
慣れなんでしょうか。
100時間かかるっていうことなんですかね。
しかも、パースをやるうえでほぼこれだろっていうメリット? といいますか。
ここに対しての、ここの距離を割り出せるはず・・・なんですけど、じっさいに線を触ってみると、あれ、どうするんだろう? どうするんだっけ? となります。
これは私がアホだからなのでしょうか。
私が人を愛する理由
私は捨石であり、彼が角であるから
文字にするってこと、または話すってこともそうでしょうが、自分が理解されないことを恐れるのではなく、誤解を恐れるからでしょうね。
なぜ描く前に描かないのか。
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