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円錐に嵌っちゃったかも・・・。
というか、すごいかも知れないです。
角の二等分
パースのかかった円についての理解。(円錐の土台を描くという意味意外での・・・。)
正面から立方体を描く時にもいかされる技術ですし。
紙に落書きしていて、気付いて、PCで描くのがめんどうだったため図説はないんですけど。
パースのかかった立方体の面を書く場合にも、円錐を意識すると、その中心が導きやすいです。
これは角の二等分の逆算みたいな感じですね。
さて、ここで、のしてんてんで、球や立方体や円錐について、とてもデッサンの基礎的な部分だと語られている理由が、少しだけ分かったんですけど。
どうして、三角形について大切だという教えはないのでしょうか。
特別、私自身も大切だと思う感覚はありませんが。
球や立方体、円錐に比べて、絶対的なものではないからでしょうか?
それならば、三角形を学ぶことについて、否定的な意見がないのは何故なのか・・・。
あたりはしばしば平面的でありますし、そこでよく目にするのは三角形のはずなのだけど。
円錐には、他の立体にはない、この線がどこにたどりつくのかという明確な目標があります。
また、もう一つは円柱の重なりについて。
これは難易度が高すぎて、心が拒絶しそう。
デジタルの利点を活かせば、多少なりとも簡単になるだろうが、それでも面倒なことには代わりありません。
すばやく、手によってのイメージ補助をする必要があります。
短い円柱が繋がっている様子を描くのは極めて難しい。そもそも、円柱を描くということが、その理解を要するはずなのだけど・・・。
素振りをもっとしたいと思う。
難しいのは楕円自体。
とても難しいポイントは、緩やかにふくらむ円のグラデーションを描くこと。
それ以上に難しいのが、円の間隔自体が、徐々に短くなっていくということ。
また、円錐と描き比べて、違いを感じたのは、傾きの有無ですね。
円柱を描く場合、よく大雑把な面として捕らえて、円の表面を見つめます。
その表面は、側面に向かうほど密度を増すのですが。円錐の場合、それが傾いていて、全て頂点にあつまっているのです。
正面から見た円柱の面の密度の変化もグラデーション
これは、円自体のベクトルの変化もグラデーションであることに等しい。
ユーグリッド原論に追記したいですね。
木村克朗 - 時の層は
グラデ
曲線が綺麗だとか魅力的だとか思うのはどうしてなのかと考えますと、要は変化を見ているからなんでしょうね。
本質、いや、本能的に。そういう変化を求めているところがありますから。
加虐では、対象が変化する喜び。
泣き顔に変わったり、喜んだ顔に変わったりすることで、やっぱり自分も嬉しくなってしまいます。
そこでは、対象がどのような反応をしたかについて意味を持たず、単に変化した。思い通りに、あるいは、思いもよらぬ変化を示したのが、嬉しくてたまらない。
また、被虐では、自分が変化させられた喜びを思うでしょう。
真円のカーブは、徐々に傾きが増していくわけですから、どの点からどの点に収束するということに関心はあまりない。それよりもこれが漸次傾いていく、という認識が大事です。その結果、ある点に収束しようとするから。
綺麗なカーブを描くのが難しいと思っていたのは、その意識が足りていなかったことも原因のひとつかも知れません。
いままで点Pを通って平均移動する点Aから、点Bまでの線を引きたいという意識しかなかった・・・。
それよりも、根本的なことの意識がかけていましたね。
ほんとに、誰も教えてくれませんね・・・。絵って。
そこそこ絵が描けるってレベルの人に聞いても、得られないだろうなって思うと・・・。
のしてんてんレベルの先生につかなきゃ満足できないです、きっと。私はね。
先生に画家としてのレベルを望むのではないですけどね。
のしてんてんの絵が下手でも、私の心を打ったと思います。
・・・・
絵でいえば、その被害者は、絵に心を動かされて感動し。
加害者は、その絵に使われている線を追って感動します。
絵自体は、色んな解釈が出来ると思うが。描いた人自身が、言葉で説明する場合に、そうしたくなくなってしまうのも理解できます。
そもそも、言葉で説明できない絵はダメでしょう。
しかし、どのようにも捕らえることができるので、一概には言いたくない場合もあると思う。当初の目的とかけはなれた意味として出来上がった場合にもです。
私が
木村克朗の「時の層は」をブログに貼り付けて、線については何が考えられるかと文字にしたとしても。「時の層は」の1本1本の線に対してどのように理解できるかと説明したわけではありません。
私は、木村克朗「時の層は」を知っていただけです。線について考えた時、絵を描きはじめて2週間目ぐらいに、youtubeで見たこの絵をただ想起したから貼り付けただけなんだからね!
その時にいいなとは思ったし先生はすごいなぁと思ったけど、本能にべたべたと触れてくるような絵よりも、単純に絵の見栄えをよくするテクニックが知りたくてyoutubeを見ていたので、特に取り上げることもありませんでした。
「時の層は」を貼り付けたのは、この記事に並べるにふさわしい。いや、こういうテーマの絵を、これしか知らなかったからという意味しかありません。
そうですね。たったひとつだけこの絵に関して言えることがあるとするならば。
私は、貼り付けるに際して、大きな画像を用意したかったということがありました。
「時の層は」は、もともと大きな絵なんです。
だから、このカンバスの大きさにも、意味はあるんだなと思いました。
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