絵を描いている最中に、aha体験のような、ピンとくる瞬間があります。が、それが上達につながっているのかは疑問です。このような感覚はさまざまな上達の過程において、幾度も経験してきたものですから、上達の感覚には間違いないのでしょうけど。
これからは絵を、もう少し小さく描くことを意識します。
今日は学んだことも多かったのですが、書き留めたところもバラバラすぎました(*⌒∇⌒*)
---memo
”服のしわ”は、引っ張られて出来たものか、寄せられて出来たもの。
”しわ”は、元の状態から離れるほどつきやすい。
描きたいものを具体的に支持する
ハンバーガーを書きたいときに、自分はハンバーガーとはどのようなものかを知っているから、ハンバーガーを書きたいと思えば、体にかかせることが出来る。
ただ、それはやはりハンバーガーを知っているから。
ハンバーガーがイメージできない場合、目の前にある何か(ハンバーガー)を書きたいと思っても、かけない。いくら念じてもかけない。
頭にイメージできないままかいても、そのイメージできなかったままの結果にしかならない。
知らないものをかきたいときにはどうすればいいか。より細かい指示をだしていく。ここはどうなっているか、あそこはどうなっているか。その指示をだしていく他はない。
ゴマのついたつぶれた半球に、茶色い楕円がはさまっていて、覗いている、その下から緑のフリルがでている。一番したは、一番上の半球がさかさまになっている。
のように、これはハンバーガーを知らないときに書くとき指示を出す方法であるが、まさに、幼少期に遊んだ、絵描き歌のようである。ここで、絵描き歌がすばらしく良く出来ているものだとしてはっとした。
幼児にいきなり、機関車をかけといっても、無理だが、絵描き歌が、より機関車に近い絵を実現させる。 それも、なんの手本もなしにである。
その、模写であっても絵描き歌のように、分解して、イメージできなければ、出来ないほど細かい指示をだしていく。
イメージが積み重なれば、ハンバーガーを知らなかったときには、細かい指示が必要だった絵が、ここにハンバーガーを描け! で一発で出てくるようになる。
また、ハンバーガーは、ハンバーガーらしきものを書け、というほかのデッサンの指示にも使えるわけだ。
だから、やはり基本は大事。点、線、面、円、球、立方体。
足がかけないのは、足をしらないのに、足をかけと念じるから。念じるのは、念じずに足がかけるようになってから。
りんごがかけないなら、リンゴがリンゴに見える理由を分析しろ
分析して分かった理由は言葉にする
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絵は超長距離マラソンのよう。常に何かかいてよう。ある短期間に一気にスパートをかけてもあまり意味はない。
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