走った。かなり成長を感じた。
だけど、やっちゃったね。自慢のモートンフットが薬指を踏みつけてしまった。ずっと踏んじゃってるなぁって感覚はあったんだけど。調子がいいので走ってた。これ以上踏むのはまずいかもって思って走るのはやめたけど、薬指踏んでなかったらもっと行けてたな。
自分の薬指を自分の足で踏んでしまうのだけど、モートンフットの人は、足の人差し指と中指に力が入りやすいそうだ。だから、人差し指と中指に力が入った時に、薬指を押してしまう。それが徐々に窮屈になって、やがて踏んでしまうみたいだ。自分の場合はね。
モートン病という、モートンフットの人がなりやすい病気もあるそうだが、僕の場合はそれでない。単純に、薬指が踏まれて痛いだけ。ただ内出血しちゃうから、これを放置するとモートン病までいくかもね。
だから、インソールっていう下敷きを入れないとダメなのだそうだけど。
めんどくさすぎる。
自分の心拍数はどの程度でどのぐらい上がるのかが興味深い。
ウォーミングアップに散歩をしましたところ115~120程度でかなり安定する。
少しだけペースを上げて早歩きレベル1にすると125~130で安定します。
だけど、少しでも駆け足にすると、どれだけペースを落としたつもりでも160を越えて、やがては170台に乗りそうです。
今日は散歩だけのつもりでしたが。
ランニングコースの折り返しから走った。LSDが出来るようにと90分走り続けられるペースを意識して走ったが、心拍数は180まであがる。
だけど、苦しくはなかった。体感として160程度だったが、180~185まで上がり、こんなのでも190でちゃうのかなって心配だったけど。それは出ませんでしたね。
折り返しの1.5キロを12分程度で走って、まだまだ走れる感じなので、後どれぐらい走れるのかをやってみましたが。そこから5分程度でダウンしたと思います。
90分走り続けるなんて到底無理。40分のジョギングすら出来ませんね。
今日は調子がとってもよかったのにこれですからね。
調子が良かったとはいっても、走れただけですが。
意識は完全に飛んでる状態でしたね。しかし辛くはなかったし、もっともっとペースをあげられそうだった。
完全にランニングの世界にトリップしていた感じです。
散歩の時にはゆっくり景色を長めながらって感じですが。走るとたまにこういうことが起こります。その状態の時はずいぶん楽に感じますね。
目がギンギンにさえまくってる状態で走ると、それはそれでいいんですけど。あんまり走り続けられた記憶がありません。
食べるのが一番難しいです。
自分はすぐやせる体質なのではないかと思う。
広島→阪神の 金本もそうらしい。
たしかに、今の金本は現役時代とは見違えて細くなっている。
広島時代の金本ほ細めだったが。
だけど、僕の父は、若かりし頃は華奢であったが、おっさんになりつつある時期からどんどん太っていったという。
華奢→ガチムチ→暴力団→メタボ と段階を踏んでいるようだ。
僕は、父の風貌が暴力団であるころに、育てられたので。なんとなくメタボに移行していく姿が頭に浮かんでいる。
2013年11月6日水曜日
2013年11月3日日曜日
走った
走った
走り終えた後に、体重計るの忘れた~~。
相変わらず、普通に歩いてるだけで心拍数は120から出てしまう。
ちょっとペースを上げると140~150
ハードな呼吸法を試すと150を上回ってしまう。
12-2や14-2で歩くのは楽しいですね。
いつものランニングコースを出来るだけ走る。
昨日走った時に調子のよさを感じたから、期待してたんだけど。
たいしたことはありませんでした。
前は片道1.5kmが10分程度だった気がするが。
今回は15分ぐらいかかってしまった。大幅にペースダウンしてる。
だけど、折り返しも走ったり歩いたりを繰り返して13分ぐらいだった。
どうして……。
これでも死に掛けてたけど。
しかしですね。このペースでもしフルマラソンを走ったとしても、7時間かかりますからね。
4時間切りを目指すトレーニングって、ほんとに、あのメニューで4時間切れるようになるのかな……。
まあでも、メニュー結構きついって思うこともありますけどね。
例えばジョギング30分とかLSD(ジョギングより軽めに走る?)60分とかってあるけど。
普通に出来ないんだけど!!
心拍数と大いに関係しているかも知れないですけどね。
行きは心拍数が190を越えちゃったけど。帰りは心拍数が上がり過ぎないようにコントロールしましたからね。
たぶんだけど僕の場合は心拍数190を超えるともうダメっぽいですね。
そこから回復するのも辛くなってしまうから。
体感でだけど、心拍数をみながら、どれぐらいの体調のときに、どれぐらいの数値が出ているかをやったところ。どうも、分かり始めてきましたね。
185~ もう走る気がなくなる
175~ いずれ走れなくなるという予感
160~ 無 このペースをキープするのは難しい。キープしようとしても、上がるか、下がるかする。
148~152 非常に元気がある状態。長時間キープ出来て、心拍数が高い状態から、この数値に戻ると、回復したなと思える。
130~ 無 何がこの心拍数にさせているのかが分からない
120~ どうして心拍数がこんなに高いのかが分からない状態
86~ 走り終えて、お風呂に入って、この記事を書いている時
体感ではちょっとドキドキしてる。
走り終えた後に、体重計るの忘れた~~。
相変わらず、普通に歩いてるだけで心拍数は120から出てしまう。
ちょっとペースを上げると140~150
ハードな呼吸法を試すと150を上回ってしまう。
12-2や14-2で歩くのは楽しいですね。
いつものランニングコースを出来るだけ走る。
昨日走った時に調子のよさを感じたから、期待してたんだけど。
たいしたことはありませんでした。
前は片道1.5kmが10分程度だった気がするが。
今回は15分ぐらいかかってしまった。大幅にペースダウンしてる。
だけど、折り返しも走ったり歩いたりを繰り返して13分ぐらいだった。
どうして……。
これでも死に掛けてたけど。
しかしですね。このペースでもしフルマラソンを走ったとしても、7時間かかりますからね。
4時間切りを目指すトレーニングって、ほんとに、あのメニューで4時間切れるようになるのかな……。
まあでも、メニュー結構きついって思うこともありますけどね。
例えばジョギング30分とかLSD(ジョギングより軽めに走る?)60分とかってあるけど。
普通に出来ないんだけど!!
心拍数と大いに関係しているかも知れないですけどね。
行きは心拍数が190を越えちゃったけど。帰りは心拍数が上がり過ぎないようにコントロールしましたからね。
たぶんだけど僕の場合は心拍数190を超えるともうダメっぽいですね。
そこから回復するのも辛くなってしまうから。
体感でだけど、心拍数をみながら、どれぐらいの体調のときに、どれぐらいの数値が出ているかをやったところ。どうも、分かり始めてきましたね。
185~ もう走る気がなくなる
175~ いずれ走れなくなるという予感
160~ 無 このペースをキープするのは難しい。キープしようとしても、上がるか、下がるかする。
148~152 非常に元気がある状態。長時間キープ出来て、心拍数が高い状態から、この数値に戻ると、回復したなと思える。
130~ 無 何がこの心拍数にさせているのかが分からない
120~ どうして心拍数がこんなに高いのかが分からない状態
86~ 走り終えて、お風呂に入って、この記事を書いている時
体感ではちょっとドキドキしてる。
2013年10月24日木曜日
映画監督としての松本人志
ヤバイ状態だ
何もやる気がしない。
今日も絵を描く気がおこらないなーってくすぶってたけど。
はじめは、絵だけなのかなって思ってたけど。何にもだ。
ご飯を食べる気もしない。
腹減ってるけど。
それで、腹へってるな~って理由から、何にもする気がしない。
オナニーもする気がしない。
でも、ボーっとしてるんだよね。
だけど、別に、ボーっとする気もしないから。
何しようかな → 別に何もする気がしないのループだ。
ということで映画は見た。
これも興味はあったけど、まだ見ていなかった映画『しんぼる』だ。
映画監督 松本人志について
頭頭、SASUKEは、松本人志の映画として、どれぐらい認知され、どの程度の評価を受けているかは、知るすべがないのだが、大日本人から踏み出した、松本人志、映画監督への道に見られる、映画の評判は軒並み悪い。
この『しんぼる』だけは見てなくて、検索をかけたわけじゃないんだけど、youtubeでたまたまそれらしいのがあったら、どうやら映画本編だったので、見てみました。
松本人志は映画監督としての評価が非常に低い監督だと思います。
いかにして、低評価を受けてしまうかという運命については、長くなるので割愛しますが、端的にいいますと、松本人志の神格化にある。これは、アンチもファンも、みんなが神格化している。
誰もが、過去の偉人としてみたいと思っているのに、今、同じ時代に生きていることに、暑苦しさを覚えるのだと。
好きな人も、嫌いな人も、完璧なものしかみたくないから、テレビでの視聴率も低い。
松本人志の面白かった部分だけを切り取ってみたいんですね。
だから、上映中であっても、映画は見られませんね。
松本人志の映画の面白さは、頭頭、SASUKEにほぼ集約されています。
頭頭は、単純に、ちょっと奇妙なショートショートを映像化したもの、という感じです。
場面場面のインパクトはありますが、今から見直して、再評価しないと、内容をわすれてしまっているぐらいの映画でした。
SASUKEは、頭頭のようなインパクトこそありませんが、分かりやすさを重視した構成になっています。松本人志の普段やっているコントよりも浅く、そうとう広いジョークと、テンポのよいストーリー展開ですが。オチは秀逸です。
松本は自信で落語好きを公言しておりますが、その落語好きが行き過ぎたようなオチで話が終わります。
ストーリーがほとんどないような映画なので、当然、オチはストーリーに準じたものではなく、ストーリーの中にただ表れた伏線を回収するにとどめますが。感動します。
どのような感動かというのは、一言では難しい。
松本人志が感動させるときに、どのようなパターンがあるかを考えなくてはなりません。
松本人志があたえる感動とは、おおむね笑わせることなのですが、その笑わせるというパターンでさえ、たったひとつではないようです。
例えば、松本が聞えるか聞えないかぐらいで、ボソっとつぶやいた言葉に、耳をすませてみると、確かに一理あるね、と、その画面の中で宝探しをしたときに、発見者になったようなパターンがひとつあります。
また、単純に松本が場を和ませるだけの、円滑に話をすすめるための、ジョークらしいジョークにアハハと笑みをこぼすこともあります。
反対に、松本が、人の話を円滑に進めないために、どんどん骨を折っていくようなジョーク、これは松本が卑怯な笑いと表現するかもしれませんが、彼自身も得意にしているような気がします。
鋭い観察眼を持ってした、指摘に、身の危険にさらされたような笑い。
単純に、誰もが想像し得なかった情景を、上手く端的に表現した笑いも。
なぞなぞに答えるような、大喜利的笑いもあります。
その、どの種類の笑いについても、面白い。
そして、もっとも印象的な松本人志の面白さは。顔がほころぶような笑いでも、ハッとさせられるような笑いでも、なるほど~と唸らされる笑いでもありません。
夢野久作の小説のなかには、たびたび登場人物が、狂気に打ち震えた笑い方をする表現が描かれています。
目を限界までひん剥かせて、アッハッハと笑うような、狂気を目撃した彼に、その狂気がとりついてしまったかのような笑い方です。その小説に見る、こんな笑い方をする人物は不気味であり、近づきたくない、こうはなりたくないなと思っているはずの人格に、やはり、一瞬させられてしまう。何かに取り付かれてしまったような笑いを、自分自身がさせらる瞬間があるということです。
まさにSASUKEのオチは、常時穏やかに、ほのぼのとしたコメーディー映画が流れていく中で、狂気の笑いによって締めくくられている構成が異常に印象的でした。
ストーリーもなく、ギャグ自体もそこそこの映画SASUKEですが。松本人志自身が、この映画を撮ってしまったことにより、道を切り開いてしまったこと。同時に、その何気なく番組の一企画で作った映画が、越えられない壁となってしまったこと。
はたからみていて、松本はかわいそうな人だ。と思わざるを得ない部分です。
松本自信もその悲しさをいまだに引きずっている。松本をみていて、画面で彼がわらっていたとしても、どこか悲しい気持ちになるわけだ。
大日本人はSASUKEのあってなかったようなストーリーと、ギャグパートをなくし、変わりに彼が浄化してしまいたいのであろう、彼の哀愁をたっぷりしみこませたストーリーがついてまわる。そして、SASUKEのような狂気に満ちた笑いをオチに付けたしたかったが、結局は、そのオチが全く成立することなく、SASUKEの足元にも及ばない映画になってしまいます。
(ただ、大日本人のオチが狂気に満ちたものであったことには変わりありません。ダメだったというわけでもない。)
しかし、大日本人は、松本が本格的に映画を作製したと銘打ったため、頭頭よりも、SASUKEよりも、瞬く間に世間の知名度をもってしまいます。
大日本人のストーリーでさえ、注意深く追っていかなければ、どのようなものかも分かりづらい映画です。
それは、大日本人は、かつて世間でもてはやされた存在ではありますが、現代での必要性が懐疑的にされているものでした。まさに物語の主人公は、その英雄であった大日本人の末裔、6代目の大佐藤大です。
映画自体が、どうしても、その登場人物に共感できるようなつくりではなく、映画を見ている人にっても、こいつは駄目なやつ、酷い扱いをうけて当然だという印象をあたえます。
それは、物語の始まりが、大日本人を追いかける一人の記者の視点から描かれているところが原因です。
松本自信が非常に人見知りでシャイだという性格は知られていますが。松本は、他人の目から見られる大日本人を描くことによって、どうしても、その内面を探り当てられるようなことは避けたかった。だけど、映画の真意としては、その内面は実はあるよってことなんですね。
その映画の作り方自体、哀愁を感じずにはいられません。
本当に大日本人はかわいそうです。なぜならば彼は、視聴者にも共感されないんですから。
映画は公開した何年か前に一度見たきりでした。何度も見返したいとは思っていましたが、まだそれっきり見返すことができなていない(youtubeとかにないので)もし、今からみたら、全く違う感想を思うかもしれませんが……
今思うことは、この大日本人にも、やっぱり松本人志の面影を感じることが出来るということです。彼は、”松本人志は、昔はすごかった……”というような評価をたびたび受けています。しかし、ほんとうにそうなんでしょうか。
それは神格化であり、過去の偉人化に他ならないのではと思います。
娯楽が分散してしまった現代は、ゲームをやっても、マンガを読んでも、パソコンをしても、遊びつくせない時代です。その中でテレビを娯楽として選ぶ人は非常に少なくなってきている。
それでも、松本人志の面白さは、おのおのの分野で求められていることです。例えば、youtuebを見るにしても、そこに松本人志の姿を見たい。彼の過去の栄光であってもいいから。
まだ、自分の知らない松本人志の面白さがあるならば、探したいと思うはずです。
そうして、過去にテレビの中にのみ松本人志を求めていたものも、それぞれ別の場所で、彼を求めています。
映画『大日本人』も『さや侍』も、そこそこの評判でした。
『しんぼる』は彼の作品の中で、最も評価されなかった映画です。
どうしても『しんぼる』を見ておきたいと思ったのですが。ようやく機械を得ましたので、本当に『しんぼる』は最低の映画だったのかと、確認することが出来たのを嬉しく思います。
しんぼるを見ていますと。はじめは、SawやCubeのような2流映画をわざわざ模倣したような場所からスタートします。
SawやCubeもある程度の評価を集めた映画でした。単純に方法を模索しなければならない映画だったから。その一点のみにおいてですが。
もしSawやCubeが、面白い映画だといえるなら、このしんぼるの導入部分も評価するべきです。
僕はSawもCubeもくだらないと思っていましたが。だから、どうして松本人志は、この映画のも婦から入ることを選んだんでしょうか。
※カット1 しんぼるの松本パート 3:47地点
(すばらしい演技・構図、しかし、ある意味で、静止画である……)
松本人志がどうして映画を取ろうとするのか、理解に困る要因の一つです。その理由は、松本人志の映画に、映像として面白い映像が見えたらないから。
松本人志の中には、おそらく、このような動きをとりたい、というヴィジョンがおそらくない。
ただ、カットとして、興味深いものは多くあります。
松本人志の頭に浮かぶものは、映像ではなく一枚の絵なのでしょう。彼は、それでも映画を撮ろうと思っています。
カット1 3:47は、松本は役者として非常によい演技をしたと褒めたい。
このカットは、松本が壁から飛び出したオブジェに触れ、松本だけの時間が止ってしまった瞬間です。その松本だけが止っているというのを、松本を取り囲むカメラアングルで表現している。このシーンはよい。この演技ができるものは、役者の中でも稀であると思います。
それは、役者に、突起に触れて部屋の中で起きた現象により、あなたの中での時間が止ってしまいます。と説明したところで本当に時間がとまったように演技をしてしまうからです。
松本のこの演技は、どこか決まっているのです。彼の中で実際には時間は止っておらず、彼は固まっていますが、彼は見ている。そうでなくては、理解し、時間が動き出したと同時に、叫ぶという演技まで繋がらないからです。
それでも、この構図は、アングルさえ変わりますが、映像ではありません。
まるで彫刻を、見回しているようなシーンです。
松本の頭に浮かんだのは、この一枚の絵であるに違いありません。決して映像ではなかったのです。
つまり、演技の指導をするならば、本来とはかけ離れた注文をしなければなりません。あなたは、突起物を押し、一枚の絵になるのです、と。
松本は、自分の思い描いた絵に、上手く溶け込むことができました。松本が演じるほかに選択肢はなかったのだと思います。松本はこの場面に適切な役者でした。高度に絵を演じたのです。それでも、俳優としての評価など、0といっていいでしょう。
そもそも、誰も、映画としてはみていないからです。
(
※補足
つまり、動画的な演技といえば、実際には動いている空間で、止っているという演技をしてしまう。しかし、静画的演技の場合、止っているという、動的な演技が必要になる。
動きのない絵に対しては、動きがないね、と評価されてしまうから。
)
しんぼる4:20秒までみた感想。
ここで、自分がみているしんぼるは、松本パートだけをまとめたものだと気付いて。ちゃんと最初からみなおしましたが。
松本パートはかなり面白いと思いますよ。
泣けるし。
すしを食べるシーンとかすごいなけるんですよね。
その直後ですが。すしを食べながら、うんうん、うんうん。って言ってるんだけど。
すげー振ってるなあ、何をそんなにハードルあげてるんだろうって思ったら、思いのほかベタな展開になって、笑えました。
これって単純におもしろいし。穿ったみかたをしても面白い。かなり高度な笑いなんじゃないかなと。
松本がたまに高度な笑いと自分のセンスを自負するようなね。
だって、何回見ても面白いからね。フリがやばいです。
まぁ、映画全体としては、面白くないっていわれてもしょうがないですよね。
だけど『しんぼる』を見終わったとして、映画について論じるときに、おもしろくないだけで終わらせることにはならないと思います。
僕も途中、寝てしまったんですが、しんぼるを論ずる価値はないかなと思ったので。4:20まで見て思ったことだけを記事にしようかと思いましたが。
ネット上に2つだけ、とても面白い解説をつけているサイトがありました。
僕は、再考する価値がないと思ってしまったんですが、みんな、その二つの記事を見ても、しんぼるは最低の映画だったといえるんだろうか。
何もやる気がしない。
今日も絵を描く気がおこらないなーってくすぶってたけど。
はじめは、絵だけなのかなって思ってたけど。何にもだ。
ご飯を食べる気もしない。
腹減ってるけど。
それで、腹へってるな~って理由から、何にもする気がしない。
オナニーもする気がしない。
でも、ボーっとしてるんだよね。
だけど、別に、ボーっとする気もしないから。
何しようかな → 別に何もする気がしないのループだ。
ということで映画は見た。
これも興味はあったけど、まだ見ていなかった映画『しんぼる』だ。
映画監督 松本人志について
頭頭、SASUKEは、松本人志の映画として、どれぐらい認知され、どの程度の評価を受けているかは、知るすべがないのだが、大日本人から踏み出した、松本人志、映画監督への道に見られる、映画の評判は軒並み悪い。
この『しんぼる』だけは見てなくて、検索をかけたわけじゃないんだけど、youtubeでたまたまそれらしいのがあったら、どうやら映画本編だったので、見てみました。
松本人志は映画監督としての評価が非常に低い監督だと思います。
いかにして、低評価を受けてしまうかという運命については、長くなるので割愛しますが、端的にいいますと、松本人志の神格化にある。これは、アンチもファンも、みんなが神格化している。
誰もが、過去の偉人としてみたいと思っているのに、今、同じ時代に生きていることに、暑苦しさを覚えるのだと。
好きな人も、嫌いな人も、完璧なものしかみたくないから、テレビでの視聴率も低い。
松本人志の面白かった部分だけを切り取ってみたいんですね。
だから、上映中であっても、映画は見られませんね。
松本人志の映画の面白さは、頭頭、SASUKEにほぼ集約されています。
頭頭は、単純に、ちょっと奇妙なショートショートを映像化したもの、という感じです。
場面場面のインパクトはありますが、今から見直して、再評価しないと、内容をわすれてしまっているぐらいの映画でした。
SASUKEは、頭頭のようなインパクトこそありませんが、分かりやすさを重視した構成になっています。松本人志の普段やっているコントよりも浅く、そうとう広いジョークと、テンポのよいストーリー展開ですが。オチは秀逸です。
松本は自信で落語好きを公言しておりますが、その落語好きが行き過ぎたようなオチで話が終わります。
ストーリーがほとんどないような映画なので、当然、オチはストーリーに準じたものではなく、ストーリーの中にただ表れた伏線を回収するにとどめますが。感動します。
どのような感動かというのは、一言では難しい。
松本人志が感動させるときに、どのようなパターンがあるかを考えなくてはなりません。
松本人志があたえる感動とは、おおむね笑わせることなのですが、その笑わせるというパターンでさえ、たったひとつではないようです。
例えば、松本が聞えるか聞えないかぐらいで、ボソっとつぶやいた言葉に、耳をすませてみると、確かに一理あるね、と、その画面の中で宝探しをしたときに、発見者になったようなパターンがひとつあります。
また、単純に松本が場を和ませるだけの、円滑に話をすすめるための、ジョークらしいジョークにアハハと笑みをこぼすこともあります。
反対に、松本が、人の話を円滑に進めないために、どんどん骨を折っていくようなジョーク、これは松本が卑怯な笑いと表現するかもしれませんが、彼自身も得意にしているような気がします。
鋭い観察眼を持ってした、指摘に、身の危険にさらされたような笑い。
単純に、誰もが想像し得なかった情景を、上手く端的に表現した笑いも。
なぞなぞに答えるような、大喜利的笑いもあります。
その、どの種類の笑いについても、面白い。
そして、もっとも印象的な松本人志の面白さは。顔がほころぶような笑いでも、ハッとさせられるような笑いでも、なるほど~と唸らされる笑いでもありません。
夢野久作の小説のなかには、たびたび登場人物が、狂気に打ち震えた笑い方をする表現が描かれています。
目を限界までひん剥かせて、アッハッハと笑うような、狂気を目撃した彼に、その狂気がとりついてしまったかのような笑い方です。その小説に見る、こんな笑い方をする人物は不気味であり、近づきたくない、こうはなりたくないなと思っているはずの人格に、やはり、一瞬させられてしまう。何かに取り付かれてしまったような笑いを、自分自身がさせらる瞬間があるということです。
まさにSASUKEのオチは、常時穏やかに、ほのぼのとしたコメーディー映画が流れていく中で、狂気の笑いによって締めくくられている構成が異常に印象的でした。
ストーリーもなく、ギャグ自体もそこそこの映画SASUKEですが。松本人志自身が、この映画を撮ってしまったことにより、道を切り開いてしまったこと。同時に、その何気なく番組の一企画で作った映画が、越えられない壁となってしまったこと。
はたからみていて、松本はかわいそうな人だ。と思わざるを得ない部分です。
松本自信もその悲しさをいまだに引きずっている。松本をみていて、画面で彼がわらっていたとしても、どこか悲しい気持ちになるわけだ。
大日本人はSASUKEのあってなかったようなストーリーと、ギャグパートをなくし、変わりに彼が浄化してしまいたいのであろう、彼の哀愁をたっぷりしみこませたストーリーがついてまわる。そして、SASUKEのような狂気に満ちた笑いをオチに付けたしたかったが、結局は、そのオチが全く成立することなく、SASUKEの足元にも及ばない映画になってしまいます。
(ただ、大日本人のオチが狂気に満ちたものであったことには変わりありません。ダメだったというわけでもない。)
しかし、大日本人は、松本が本格的に映画を作製したと銘打ったため、頭頭よりも、SASUKEよりも、瞬く間に世間の知名度をもってしまいます。
大日本人のストーリーでさえ、注意深く追っていかなければ、どのようなものかも分かりづらい映画です。
それは、大日本人は、かつて世間でもてはやされた存在ではありますが、現代での必要性が懐疑的にされているものでした。まさに物語の主人公は、その英雄であった大日本人の末裔、6代目の大佐藤大です。
映画自体が、どうしても、その登場人物に共感できるようなつくりではなく、映画を見ている人にっても、こいつは駄目なやつ、酷い扱いをうけて当然だという印象をあたえます。
それは、物語の始まりが、大日本人を追いかける一人の記者の視点から描かれているところが原因です。
松本自信が非常に人見知りでシャイだという性格は知られていますが。松本は、他人の目から見られる大日本人を描くことによって、どうしても、その内面を探り当てられるようなことは避けたかった。だけど、映画の真意としては、その内面は実はあるよってことなんですね。
その映画の作り方自体、哀愁を感じずにはいられません。
本当に大日本人はかわいそうです。なぜならば彼は、視聴者にも共感されないんですから。
映画は公開した何年か前に一度見たきりでした。何度も見返したいとは思っていましたが、まだそれっきり見返すことができなていない(youtubeとかにないので)もし、今からみたら、全く違う感想を思うかもしれませんが……
今思うことは、この大日本人にも、やっぱり松本人志の面影を感じることが出来るということです。彼は、”松本人志は、昔はすごかった……”というような評価をたびたび受けています。しかし、ほんとうにそうなんでしょうか。
それは神格化であり、過去の偉人化に他ならないのではと思います。
娯楽が分散してしまった現代は、ゲームをやっても、マンガを読んでも、パソコンをしても、遊びつくせない時代です。その中でテレビを娯楽として選ぶ人は非常に少なくなってきている。
それでも、松本人志の面白さは、おのおのの分野で求められていることです。例えば、youtuebを見るにしても、そこに松本人志の姿を見たい。彼の過去の栄光であってもいいから。
まだ、自分の知らない松本人志の面白さがあるならば、探したいと思うはずです。
そうして、過去にテレビの中にのみ松本人志を求めていたものも、それぞれ別の場所で、彼を求めています。
映画『大日本人』も『さや侍』も、そこそこの評判でした。
『しんぼる』は彼の作品の中で、最も評価されなかった映画です。
どうしても『しんぼる』を見ておきたいと思ったのですが。ようやく機械を得ましたので、本当に『しんぼる』は最低の映画だったのかと、確認することが出来たのを嬉しく思います。
しんぼるを見ていますと。はじめは、SawやCubeのような2流映画をわざわざ模倣したような場所からスタートします。
SawやCubeもある程度の評価を集めた映画でした。単純に方法を模索しなければならない映画だったから。その一点のみにおいてですが。
もしSawやCubeが、面白い映画だといえるなら、このしんぼるの導入部分も評価するべきです。
僕はSawもCubeもくだらないと思っていましたが。だから、どうして松本人志は、この映画のも婦から入ることを選んだんでしょうか。
※カット1 しんぼるの松本パート 3:47地点
(すばらしい演技・構図、しかし、ある意味で、静止画である……)
松本人志がどうして映画を取ろうとするのか、理解に困る要因の一つです。その理由は、松本人志の映画に、映像として面白い映像が見えたらないから。
松本人志の中には、おそらく、このような動きをとりたい、というヴィジョンがおそらくない。
ただ、カットとして、興味深いものは多くあります。
松本人志の頭に浮かぶものは、映像ではなく一枚の絵なのでしょう。彼は、それでも映画を撮ろうと思っています。
カット1 3:47は、松本は役者として非常によい演技をしたと褒めたい。
このカットは、松本が壁から飛び出したオブジェに触れ、松本だけの時間が止ってしまった瞬間です。その松本だけが止っているというのを、松本を取り囲むカメラアングルで表現している。このシーンはよい。この演技ができるものは、役者の中でも稀であると思います。
それは、役者に、突起に触れて部屋の中で起きた現象により、あなたの中での時間が止ってしまいます。と説明したところで本当に時間がとまったように演技をしてしまうからです。
松本のこの演技は、どこか決まっているのです。彼の中で実際には時間は止っておらず、彼は固まっていますが、彼は見ている。そうでなくては、理解し、時間が動き出したと同時に、叫ぶという演技まで繋がらないからです。
それでも、この構図は、アングルさえ変わりますが、映像ではありません。
まるで彫刻を、見回しているようなシーンです。
松本の頭に浮かんだのは、この一枚の絵であるに違いありません。決して映像ではなかったのです。
つまり、演技の指導をするならば、本来とはかけ離れた注文をしなければなりません。あなたは、突起物を押し、一枚の絵になるのです、と。
松本は、自分の思い描いた絵に、上手く溶け込むことができました。松本が演じるほかに選択肢はなかったのだと思います。松本はこの場面に適切な役者でした。高度に絵を演じたのです。それでも、俳優としての評価など、0といっていいでしょう。
そもそも、誰も、映画としてはみていないからです。
(
※補足
つまり、動画的な演技といえば、実際には動いている空間で、止っているという演技をしてしまう。しかし、静画的演技の場合、止っているという、動的な演技が必要になる。
動きのない絵に対しては、動きがないね、と評価されてしまうから。
)
しんぼる4:20秒までみた感想。
ここで、自分がみているしんぼるは、松本パートだけをまとめたものだと気付いて。ちゃんと最初からみなおしましたが。
松本パートはかなり面白いと思いますよ。
泣けるし。
すしを食べるシーンとかすごいなけるんですよね。
その直後ですが。すしを食べながら、うんうん、うんうん。って言ってるんだけど。
すげー振ってるなあ、何をそんなにハードルあげてるんだろうって思ったら、思いのほかベタな展開になって、笑えました。
これって単純におもしろいし。穿ったみかたをしても面白い。かなり高度な笑いなんじゃないかなと。
松本がたまに高度な笑いと自分のセンスを自負するようなね。
だって、何回見ても面白いからね。フリがやばいです。
まぁ、映画全体としては、面白くないっていわれてもしょうがないですよね。
だけど『しんぼる』を見終わったとして、映画について論じるときに、おもしろくないだけで終わらせることにはならないと思います。
僕も途中、寝てしまったんですが、しんぼるを論ずる価値はないかなと思ったので。4:20まで見て思ったことだけを記事にしようかと思いましたが。
ネット上に2つだけ、とても面白い解説をつけているサイトがありました。
僕は、再考する価値がないと思ってしまったんですが、みんな、その二つの記事を見ても、しんぼるは最低の映画だったといえるんだろうか。
2013年10月22日火曜日
サボリ モートンフット
1.5キロ完走した・・・
死にそうだった。
心拍数はスタート時160ぐらい、高い時190越えてた。
1.5キロって短いけど、ほんとに完走することだけを目標にして自分的にはゆっくり走っていたが、途中で抜かしてくる人がいて、それにちょっとつられてペース上がったかもしれない。
時間は10分22秒だった。
遅っ
死にかけだったのに。
小学校のときか、中学校のときか忘れたけど、7分15秒とかだったと思うんだけど・・・。
体力的にはあんまり代わり映えがしませんね。
食事を変えた方がいいかもしれない・・。
走るの楽しいんだけど。
これから走り続けられるのかも疑問です。
というのは、足の指の形が悪いんですよね。
調べてみたら、モートンフットっていう足らしい。
しかも、自分で見れば見るほど、異常だ、この足は。
通常の足って、中指よりも親指の方が長いらしいんですね。
こんな常識も知らなかった・・・。
ていうよりも、足って、親指が一番長いんですね。ほんとかよと思って、グーグルの画像検索で調べてみましたが。みんな親指が一番長い。
足の人差し指が長い人もいましたが、それもほとんど同じぐらいって長さで、僕の場合は、人差し指が異常に長いです。その次に、少しだけ中指が短くて、次が親指って感じです。
親指は人にくらべると、かなり短い気がする(人差し指・中指が長い?)
だけど病気ではないらしい。
こういう足のことも知らずにずっと生きてきたんだな・・・。自分の人生をすごく後悔してますね。思えば、自分の足に合う靴がどうしてもなかった。どのくつも、足の先端の部分が窮屈に感じていたし、店員と相談しても、そのうちになれるとか広がってくるとか適当なことを言われて買わされてたな・・・。
すげーつらいわ。
なんで、モートンフットかも知れませんねって、足の形見てみましょうかって、相談にのってくれなかったんだろう……。
まじで殺したくなってくるわ、靴屋の店員とか。
ランニングシューズ買ったときもそうだったな。
靴の先がやっぱり窮屈に感じるって言ったんだけど、モートンフットだとかは、何も言わなかった。少しだけ先が広めの靴を用意してくれただけだったな。
はぁ……。
まあ、なんで足の形が気になってきたかっていうのは。4日ぐらい前から、なんか、走ってるときに足の指が捩れるというか。薬指が中指の下敷きになってしまう感覚があったからなんだけど。
今日、家にかえってきたら、薬指の爪が全部内出血してた。
真紫になってた。
中がぱんぱんに腫れて、爪がはがれそうだったよ。
これがモートンフットの弊害なんだな・・・。
爪に内出血がでるなんてことは、ランナーとしての勲章でもあるそうなんだけど。そうじゃないだろ・・。正しく走ってないからだよ。
足の形を理解してなかったから……泣
まぁ、自分の足のことだから、分かってない自分が悪いんだけど。
悔しいよね。
2013年10月11日金曜日
スタンリーキューブリックについて
シャイニングがつまらなかったせいで、何もやる気がしない・・・。
完全にその気持ちをシャイニングに押し付けたい。
スタンリーキューブリックの映画について、最近考える機会が多い。
その発端はシャイニングだったんですけど。あんまり監督と映画を繋げて考えたりしないんですが、シャイニングが、スタンリーキューブリックだと意識すると、結構、色々な名作映画が、スタンリーキューブリックの監督の元撮影されていることに気付きました。
映画監督とか、俳優の名前とかどうでもいいと思うほうなんですけどね。
今日は、ぼーっとしていたかったので、筋肉痛からの回復にも専念し、映画を見ました。
2001年宇宙の旅!
これも、スタンリーキューブリックの映画です。
ストーリーは大筋で知っていたのですが、ディティールを見たいなと思っていましたが。目も当てられないものでした。友達が最高の映画だといっていたんだけど、最高ってほどかね。
しかし、まぁまぁ良かったですよ。
泣けました。
泣いたからっていい映画だとは判断しませんよ。
昔の映画だからしょうがないんだろうけど、よくもまぁ、これだけ退屈に作れるなという感想です。
何も展開のしない、ただ絵だけの場面が何十秒も続く。
映画とは思えない、静止画の長回しを多用するタルコフスキーはその静止画の美しさに、感動をした場面もいくつかあったのですが。2001年宇宙の旅に限っては、その映像・静止画の面白さもいまいち感じられなかった・・・。
はじめの一時間を3倍速で見て、ほとんど飛ばしながら、そこから話がようやく核心に触れ始めたかというところで、3倍速のまま飛ばさずにみました。
宇宙空間という映像の面白さがいくつもありましたが。当時の技術レベルにたいして、どれぐらいすごいのかが分からないので、なんともいえない・・・。
2013年に制作された映画だ! としたら、そうとう低い技術レベル・・・。それはしかたないんだけど。
ディティールがどうしようもないんだけど、ストーリー自体はよく、ラストも感動的だった。
全体的に倍速+スキップで見たんですが、HALにも感情移入できて、泣けた。
意味分からないなーって思ってたところも、最後に明らかになりました。
自分からは大した感想は出ませんね。
おおむね評判通りで、前もって知っていたときに感じられたままの映画でした。
それで、一応見終わって、他の人の解説などもみたんですけど。
この映画、難解っていうんですよね。
そうか? 笑
中には、全く理解できなかったっていう人もいるんです。
僕の場合はだいたい映画を見る前に、あらすじなどを頭に入れて置くので、理解できないってことだけはないんですけど。映画について理解できないという人の気がしれないんですよね。
仮にもし、あらすじなどをみずに、全く0の状態から映画をみたとして、理解できないものなんだろうか・・・。
まぁ僕があらすじを絶対みるのは、基本的に倍速でスキップしながら見るのが前提だからなんですが。面白くなかったって場合にも安心でしょ。
しかし、スタンリーキューブリックの映画はどれをみてもいいですね。
過去に見た映画はどれも素晴らしかったし、また見たいと思わせるものだった。
まだ見ていないものに関しても、評判は耳に入ってきますしね。
スタンリーキューブリックの映画は全部みてもいいのかもしれません。
今のところ。
時計仕掛けのオレンジがだんとつで面白かったとして
カッコーの巣の上で
2001年宇宙の旅
シャイニングは、ダメだったとはいえ、前半部分に限ってはおそらく映画史上最高の40分間だと思う。
どの映画のどの場面から切り取られた40分間よりもすごい。
この4作が、全部スタンリーキューブリックだとしたら、僕の中では100発100中で当たっていますね。だから、他の映画も全部みていいかもって始めて思えました。
ところで、映画至上もっとも最高の5分を決めるなら、僕はニューシネマパラダイスのラストシーンをあげたいです。これは断じて譲れませんね。瞬間を切り取ったときに、素晴らしいと思えたシーンもありましたが、シャイニングにもここまでの5分間はありません。
まぁでも、ニューシネマパラダイスのラストシーンも、見て感動したといった人から話をきいて、こういう落ちなんだよ~~っていわれたときには、もっともっともすごくて、美しい結末を予期していましたが、実際の映像はそれほどではありませんでした。
だけど、言葉にした時の美しさはありますし、いい映画です。いいシーンですので、ここですね。
ニューシネマパラダイスほど、誰もが予期して、見破っていたのにも関わらず、誰もが自分の予想だにしなかった感動を味わった映画はなかったでしょう。
この感動はとても奇妙で、印象に残るものでした。
あらすじを口頭で伝えられて、気が動転しました。
ま、俳優はジャックニコルソンぐらいしか知らないんですけど。
スタンリーキューブリックの長まわしに耐えうる顔なのがすごいと思います。
俳優について語るときに、演技がすごいとか・・本当にそうかって思う。
長時間ドアップになってるジャックニコルソンが、全く違和感なしにみれてしまう、これがほんとに俳優としてすごいとおもうんだけどね。
まぁ、演技が下手って俳優は、確かに評価できないんだけど。
演技が上手いってのはないと思うんですよね。ある一定以上を越えたら、どれも同じでしょうって。
完全にその気持ちをシャイニングに押し付けたい。
スタンリーキューブリックの映画について、最近考える機会が多い。
その発端はシャイニングだったんですけど。あんまり監督と映画を繋げて考えたりしないんですが、シャイニングが、スタンリーキューブリックだと意識すると、結構、色々な名作映画が、スタンリーキューブリックの監督の元撮影されていることに気付きました。
映画監督とか、俳優の名前とかどうでもいいと思うほうなんですけどね。
今日は、ぼーっとしていたかったので、筋肉痛からの回復にも専念し、映画を見ました。
2001年宇宙の旅!
これも、スタンリーキューブリックの映画です。
ストーリーは大筋で知っていたのですが、ディティールを見たいなと思っていましたが。目も当てられないものでした。友達が最高の映画だといっていたんだけど、最高ってほどかね。
しかし、まぁまぁ良かったですよ。
泣けました。
泣いたからっていい映画だとは判断しませんよ。
昔の映画だからしょうがないんだろうけど、よくもまぁ、これだけ退屈に作れるなという感想です。
何も展開のしない、ただ絵だけの場面が何十秒も続く。
映画とは思えない、静止画の長回しを多用するタルコフスキーはその静止画の美しさに、感動をした場面もいくつかあったのですが。2001年宇宙の旅に限っては、その映像・静止画の面白さもいまいち感じられなかった・・・。
はじめの一時間を3倍速で見て、ほとんど飛ばしながら、そこから話がようやく核心に触れ始めたかというところで、3倍速のまま飛ばさずにみました。
宇宙空間という映像の面白さがいくつもありましたが。当時の技術レベルにたいして、どれぐらいすごいのかが分からないので、なんともいえない・・・。
2013年に制作された映画だ! としたら、そうとう低い技術レベル・・・。それはしかたないんだけど。
ディティールがどうしようもないんだけど、ストーリー自体はよく、ラストも感動的だった。
全体的に倍速+スキップで見たんですが、HALにも感情移入できて、泣けた。
意味分からないなーって思ってたところも、最後に明らかになりました。
自分からは大した感想は出ませんね。
おおむね評判通りで、前もって知っていたときに感じられたままの映画でした。
それで、一応見終わって、他の人の解説などもみたんですけど。
この映画、難解っていうんですよね。
そうか? 笑
中には、全く理解できなかったっていう人もいるんです。
僕の場合はだいたい映画を見る前に、あらすじなどを頭に入れて置くので、理解できないってことだけはないんですけど。映画について理解できないという人の気がしれないんですよね。
仮にもし、あらすじなどをみずに、全く0の状態から映画をみたとして、理解できないものなんだろうか・・・。
まぁ僕があらすじを絶対みるのは、基本的に倍速でスキップしながら見るのが前提だからなんですが。面白くなかったって場合にも安心でしょ。
しかし、スタンリーキューブリックの映画はどれをみてもいいですね。
過去に見た映画はどれも素晴らしかったし、また見たいと思わせるものだった。
まだ見ていないものに関しても、評判は耳に入ってきますしね。
スタンリーキューブリックの映画は全部みてもいいのかもしれません。
今のところ。
時計仕掛けのオレンジがだんとつで面白かったとして
カッコーの巣の上で
2001年宇宙の旅
シャイニングは、ダメだったとはいえ、前半部分に限ってはおそらく映画史上最高の40分間だと思う。
どの映画のどの場面から切り取られた40分間よりもすごい。
この4作が、全部スタンリーキューブリックだとしたら、僕の中では100発100中で当たっていますね。だから、他の映画も全部みていいかもって始めて思えました。
ところで、映画至上もっとも最高の5分を決めるなら、僕はニューシネマパラダイスのラストシーンをあげたいです。これは断じて譲れませんね。瞬間を切り取ったときに、素晴らしいと思えたシーンもありましたが、シャイニングにもここまでの5分間はありません。
まぁでも、ニューシネマパラダイスのラストシーンも、見て感動したといった人から話をきいて、こういう落ちなんだよ~~っていわれたときには、もっともっともすごくて、美しい結末を予期していましたが、実際の映像はそれほどではありませんでした。
だけど、言葉にした時の美しさはありますし、いい映画です。いいシーンですので、ここですね。
ニューシネマパラダイスほど、誰もが予期して、見破っていたのにも関わらず、誰もが自分の予想だにしなかった感動を味わった映画はなかったでしょう。
この感動はとても奇妙で、印象に残るものでした。
あらすじを口頭で伝えられて、気が動転しました。
ま、俳優はジャックニコルソンぐらいしか知らないんですけど。
スタンリーキューブリックの長まわしに耐えうる顔なのがすごいと思います。
俳優について語るときに、演技がすごいとか・・本当にそうかって思う。
長時間ドアップになってるジャックニコルソンが、全く違和感なしにみれてしまう、これがほんとに俳優としてすごいとおもうんだけどね。
まぁ、演技が下手って俳優は、確かに評価できないんだけど。
演技が上手いってのはないと思うんですよね。ある一定以上を越えたら、どれも同じでしょうって。
2013年10月10日木曜日
ゴミ映画だった『シャイニング』
『シャイニング』続き
ママは広い山奥のホテルにたった3人でいるわけですから、子供だけではなく、たまにはパパにも会って、お話やキスなどをしたいと思うようになってきます。しかし、パパはいつも仕事中で、ママがくると中断せざるを得なくなるので、近寄るなとママにいいつけます。ママは仕方なく子供と遊ぶことにするのですが、独りぼっちで仕事を続けるパパの様子は、ママの知らないところで、だんだんと変わっていってしまったのでした。
パパは自分の神経を張り詰めさせ、疲れさせたこのホテルが、かえってお気に入りとなり、ここが自分たち家族の居場所ではないだろうかと感じるようになりました。パパは子供やママに、自分のようにホテルを好きになって欲しいと願います。そして、叶うならば、ずっとここにいたいと切なる思いを燃やすようになっていたのです。
ママは、どうしてもパパの近くに用事のあるときは、子供におつかいを頼むことに決めました。血相を変えたパパに気付いた子供は、パパの心境の変化にたいへん敏感になって身を案じます。パパは子供を自分に引き寄せて、パパがずっとこのホテルで暮らしたくなってしまったことを打ち明けました。
子供ははっきりとは答えることはしませんでした。それよりも、どうしてママが、パパへのおつかいを頼むのか、真相を知りたかったのです。もしかしたら、ママとパパが喧嘩をしているのかも知れません。だから、パパに、自分だけにでもいいから教えて欲しいと思って尋ねました。「ママをいじめるのはやめて。」
疑り深く、パパは子供に質問を返しました。こんな卑怯に、パパの心中を探ろうとする言付けを頼んだのはママか? と。子供はもちろん違うと答えましたが。パパはますます不安になってしまうのです。ママは、このホテルを愛していないのではないだろうか。
その次の日のことでした。ママは忙しいパパの変わりに、寒いホテルの部屋が凍り付いてしまわないように、順番に部屋を暖めていくお仕事をしていました。
地下室にある、茶色の大きな機械は、その仕事を半分だけ自動に働いてくれる機械です。しかし、もう半分は、ママがこなさなくてはなりません。大きな機械に緑黄赤の3つの色のランプがついたボタンを上手くおしていくことがママの役割でした。ママが地下室を見渡して、緑色のボタンをおした時でした。
はじめは気のせいかと思っていた、「ウゥ」という低い唸り声がはっきりと聞えてきたのです。
ママが音の出所をさぐって、おそるおそる歩き始めると、どうやら、聞き覚えのある声だったのです。パパがどこかで苦しんでいると知ると、ママは、一目散に走り始めます。すると、パパは広いホテルのダイニングルーム(食堂)で豪華な長机に突っ伏して、苦しんでいたのです。
ママはパパにとつぜん体のどこが悪くなってしまったのかと尋ねました。
パパは、とても恐ろしい夢を見たと答えます。
ママは大丈夫だといって、パパを笑顔をもってなだめました。ママにとっては何週間ぶりとなる、パパとの会話だったので、パパがとても辛い状況で、自分が助けてあげなくてはならなくても、嬉しかったのです。
そして、近寄るなと怒鳴ったのに、今もやさしく接してくれるママに、自分が見た夢を語り始めるのでした。
その夢は、パパがママや子供を殺して、切り刻んでしまうという夢でした。ママならば、パパの悲しい夢を許してくれると思ったのです。
恐ろしい夢の話を聞き終えると、子供も食卓へかけつけてきました。
この変まではおおむねよかった。原作の小説がどのような表現になっているのかさえ知りたいぐらい、面白いです。ただ・・・
ただああ。
60分にも差し掛かると、ホラー映画にありがちな冗長で、無意味な演出も増え始めます。
これが5連続ほどつづいたのはもったいない。黒人のジジイがドアップになるシーンから謎演出は続きます。しかも長い。裸の女が現れパパにかづいてくるシーンもだが。
どうしてホラー映画の監督は、こうも緊張の糸が切れてしまうような演出をするのでしょうか。何よりも裸の女の体系が悪すぎる。これはピクリットモでしたわ。
浴槽をまたいで一歩踏み出したときの構図はよかったが、その後が全然だめだった。長いし。ずっとこの汚い体を見せられている意味が分からない。
監督「あー、全裸になるシーンあるけど、おk?」
汚い女優「いいですよ。全裸いけます。」
「じゃあ、カメラ回しマース、アクション!」
監督「なんやこの体・・。なんで全裸いけるいうたんや・・・。」
ここからあんまり見るきもしなくなっていました。
一応全部みたんですが、失速してから、ずっと同じペースで走り続けてた感じでしたね。
無意味で、冗長な演出は序盤にもあって、危惧はしていたが、それについては、意味が明かされたり伏線だったりしましたから、むしろ良かったんですけどね。
もうとっくに冷め切っているのに、女優の演技が大げさすぎて笑えたってこと意外は印象になかった。黒人
シーンは黒人への配慮なのか、無駄に写ってる時間がながい。カットできただろとしか思わない。まぁ死ぬんだけどな。
前半で神構図の連続だったのに、後半一切そのこだわりが感じられなかった。何が取りたいのかもさっぱり。何をみせたいのかもさっぱり。パパが死ぬシーンももはや笑えないジョークだった。
あれ、あの・・これ、滑ってますよ?
落ちも良く分からなかった。
他に映画を見た人が、興味深い解説をやっていそうなものですから、まぁ見てやってもいいかな。
後半はほとんど催眠状態で見てましたね。
これだけ失速した映画があったのか・・・。導入部分は完璧で。それらを支える構図も演技も完璧だったのに。
いつからおかしくなってしまったのか。やはり、あの黒人のアップがいけなかったんだろ。
同監督の、名作『カッコーの巣の上で』ジャックニコルソンが、同じようなアップの長回しを耐え抜いたが、あれも謎演出だが、あの長回しには、酒が回ってしまったという意味もあったはずだ・・、それに、ジャックニコルソンは、長まわしに耐えうる顔だった。だから、すごいんだろう。
でも、黒人はダメだ。黒いだけだから。
意味も、思わせぶりだったとしか思えない。
何か感じ取ってよ? なんで黒人のアップが続くのか、行間をちゃんと読んでよ? という、押し付け。何を感じ取るべきだったのかを教えて欲しい。
例えば、あの演出はいらなかったなというと、文句ばっかりいうなとよく反論されるが、教えて欲しい。お前は何か感じるものがあったのか、と。
そして、導入部がいかに完璧だったかということを、オレのように感じられたのかということを・・・。
シャイニングは惜しい映画だった。
まあ、ホラー映画だからねという、安直な感想で終わらせたくない・・。そのような感想をもつものには、導入から中盤にさしかかるまでが、どれほどすごかったのかが分からないんだろう。
はぁ・・・今までのつらい経験・・・。場かとの会話が全て蘇ってくるような、残念な映画だった。
バカには、考えすぎだといわれ、バカにはホラー映画だからとフォローされ、バカに慰められてしまうような、かわいそうな映画になってしまったんだ。どうして・・・。
朝 62.4kg
順調に体重が増えてて喜ばしい反面。単純に太っているのではないかという疑惑もあって怖いです。ただ、いつも朝食前に計っていたけど、今日は500mgのプロテインドリンクを計る前に飲んでしまったので、こんなものなのでしょうか。
排泄や食事の量によって1日に2kgや3kgの変化は当たり前だそうなので、ダイエットをするにしても、目先の体重増減にあまりとらわれないほうがいいそうですけどね。
昨日大切だと分かった肩甲骨に続いて、骨盤の柔軟性を良くみてみる。
右足はわりとよどみなく、骨盤から足を踏み出せているのですが、左足はずいぶんぎこちないことが分かりました。
絵を描き始めてずいぶんたってから、骨盤のかなり上の方から、足の可動が始まるということは学べましたが、実際に自分があるくとなったときに、意識せずして足を動かすことはできません。
骨盤から足を踏み出す動作は、歩くことにとっても走ることにとっても重要なことです。骨盤から踏み出すことが、単純に歩幅の増加につながるというだけではなく、骨盤の柔軟性によって、無理なく足を滑らせることによって、足に余計なダメージを与えない。
坂道でトレーニング
ま、山にいったってことですね。
山はガチ勢と散歩している老人しかいないので、すごくメリハリが利いている。
子供連れの親子とかもいるが、近くのランニングコースより人がずいぶん少ない。
1/5ぐらいです。だからなのか、逆に挨拶している人は多いです。
朝3時半ぐらいに目が開いて、中途半端な字簡易おきちゃったと思いましたが、二度ねするか、おきるかを20分ぐらいうとうとしながら悩んで結局起床しました。出発まではストレッチ系の動画をyoutubeで探して、一緒にやってみます。昨日は晩御飯も食べずにねちゃったので、お腹がとてもすいていましたから、プロテインジュースを飲んでお風呂に入って出発しました。
道中の食堂までの道のりで体の調子を確認しますと、体がボロボロになっていることが分かりました。ちょっとここのところ、ランニング以外でも、体を動かして仕方がなかったときには、筋トレして無茶をしてましたので、祟ったのだと思います。
一日か二日ぐらい、完全に休憩する日を作ったほうがいいのかな?
そうとはいえ、ランニングの調子は、いつにもまして良かったものです。
今日もまた、いつまでも走り続けていられるような走法の感覚を掴むことができました。
それでも、もともと体力がなかったため、これ以上疲れていいのかどうかが分からないという理由で、判断が分からなくなってしまうことがありました。
脳みそだけが「そろそろみんな限界でしょ?」と、細胞たちに語りかけます。
細胞はそれぞれ「いや、まだいけますけど。」「まぁ、オレもいけるけど~」「全然平気です。」「もうちょっと行ってみましょう。」と返事をするんですが。
またしばらくすると、脳みそが会議をひらいて「どう? そろそろ止りたくなった?」と声をかけます。
やはり、「いや? いけますよ。」「いけるねぇ」「さっきと変わってなくね?」
肺も血液も「乳酸は溜まってないし、呼吸も乱れてないけどね。」
で、こういう会議が開かれるたびに、ほんとに大丈夫なのかと心配になるんですが。
10回ぐらい限界かなと思っては乗り越えたんですが、走るのやめました。
それでも、まだまだいける感じではあったんですが。
筋肉痛だったうちももだけは「まぁ、痛いっちゃいたいですけどね。」といってたので。
結局全部脳みそがしゃべってることなんだけど。うーん。まだ走れたんでしょうか。それとも無理しちゃってたのかな。
体力自体が急激についたので(もともと10だったのが20ぐらいでしょうが)全然体力が残っている機はするんですが、これ以上疲れた経験がないから、走るのをやめたくなってしまう。
怪我だけは絶対にしたくないってものあるんですけどね。
そういえば、汗対策に、首にタオルを巻く方法をためしてみましたが、重点的にケアした胸元などは、効果がよくでていて、いつもは服の前面は全て汗まみれになってしまうところを、3割程度で済ますことができました。
うなじは上手くケアできておらず、いつもどおり7割方、あぜがついてしまいました。
うーん、明日は休憩しようかな。ストレッチするぐらいにして。
それから土日は少しだけハードに練習してみよう。
帰ってきてシャワーを浴びるが、ここのところ、シャワーで流した肌を、手でなでたりするんですが、ぬるぬるします。流している時に、自分でお腹をみたり、太ももをみたりすると、妙に反射してエロいし、さわってみるとプルプルだしね。
ネットで検索したけど、あまり分からなかった。
どうして、こんなありそうな情報がないんだろうか。
もともとシャワーで流すだけでぬるぬるなので、今は、タオルも石鹸もつかっていませんが。不潔なんでしょうか・・・。
普段から肌がぬるぬるしているわけではないんですけどね。
う~~ん。これで臭うようだったらちゃんと洗うようにしよう・・・。
フォームをかなり意識してやっているんだけど、まったくしっくりこない。あってるのかどうかも分かりませんね。
でも、人のフォームをみていて、アゴがあがってるなとか、背中まるいなとかは分かるんですけどね・・。
まあ、悩みながらやってみるしかないですね。そのうち、これだっていうフォームがみつかるよね。
走り終えたときは62.9kgでした。
ママは広い山奥のホテルにたった3人でいるわけですから、子供だけではなく、たまにはパパにも会って、お話やキスなどをしたいと思うようになってきます。しかし、パパはいつも仕事中で、ママがくると中断せざるを得なくなるので、近寄るなとママにいいつけます。ママは仕方なく子供と遊ぶことにするのですが、独りぼっちで仕事を続けるパパの様子は、ママの知らないところで、だんだんと変わっていってしまったのでした。
パパは自分の神経を張り詰めさせ、疲れさせたこのホテルが、かえってお気に入りとなり、ここが自分たち家族の居場所ではないだろうかと感じるようになりました。パパは子供やママに、自分のようにホテルを好きになって欲しいと願います。そして、叶うならば、ずっとここにいたいと切なる思いを燃やすようになっていたのです。
ママは、どうしてもパパの近くに用事のあるときは、子供におつかいを頼むことに決めました。血相を変えたパパに気付いた子供は、パパの心境の変化にたいへん敏感になって身を案じます。パパは子供を自分に引き寄せて、パパがずっとこのホテルで暮らしたくなってしまったことを打ち明けました。
子供ははっきりとは答えることはしませんでした。それよりも、どうしてママが、パパへのおつかいを頼むのか、真相を知りたかったのです。もしかしたら、ママとパパが喧嘩をしているのかも知れません。だから、パパに、自分だけにでもいいから教えて欲しいと思って尋ねました。「ママをいじめるのはやめて。」
疑り深く、パパは子供に質問を返しました。こんな卑怯に、パパの心中を探ろうとする言付けを頼んだのはママか? と。子供はもちろん違うと答えましたが。パパはますます不安になってしまうのです。ママは、このホテルを愛していないのではないだろうか。
その次の日のことでした。ママは忙しいパパの変わりに、寒いホテルの部屋が凍り付いてしまわないように、順番に部屋を暖めていくお仕事をしていました。
地下室にある、茶色の大きな機械は、その仕事を半分だけ自動に働いてくれる機械です。しかし、もう半分は、ママがこなさなくてはなりません。大きな機械に緑黄赤の3つの色のランプがついたボタンを上手くおしていくことがママの役割でした。ママが地下室を見渡して、緑色のボタンをおした時でした。
はじめは気のせいかと思っていた、「ウゥ」という低い唸り声がはっきりと聞えてきたのです。
ママが音の出所をさぐって、おそるおそる歩き始めると、どうやら、聞き覚えのある声だったのです。パパがどこかで苦しんでいると知ると、ママは、一目散に走り始めます。すると、パパは広いホテルのダイニングルーム(食堂)で豪華な長机に突っ伏して、苦しんでいたのです。
ママはパパにとつぜん体のどこが悪くなってしまったのかと尋ねました。
パパは、とても恐ろしい夢を見たと答えます。
ママは大丈夫だといって、パパを笑顔をもってなだめました。ママにとっては何週間ぶりとなる、パパとの会話だったので、パパがとても辛い状況で、自分が助けてあげなくてはならなくても、嬉しかったのです。
そして、近寄るなと怒鳴ったのに、今もやさしく接してくれるママに、自分が見た夢を語り始めるのでした。
その夢は、パパがママや子供を殺して、切り刻んでしまうという夢でした。ママならば、パパの悲しい夢を許してくれると思ったのです。
恐ろしい夢の話を聞き終えると、子供も食卓へかけつけてきました。
この変まではおおむねよかった。原作の小説がどのような表現になっているのかさえ知りたいぐらい、面白いです。ただ・・・
ただああ。
60分にも差し掛かると、ホラー映画にありがちな冗長で、無意味な演出も増え始めます。
これが5連続ほどつづいたのはもったいない。黒人のジジイがドアップになるシーンから謎演出は続きます。しかも長い。裸の女が現れパパにかづいてくるシーンもだが。
どうしてホラー映画の監督は、こうも緊張の糸が切れてしまうような演出をするのでしょうか。何よりも裸の女の体系が悪すぎる。これはピクリットモでしたわ。
浴槽をまたいで一歩踏み出したときの構図はよかったが、その後が全然だめだった。長いし。ずっとこの汚い体を見せられている意味が分からない。
監督「あー、全裸になるシーンあるけど、おk?」
汚い女優「いいですよ。全裸いけます。」
「じゃあ、カメラ回しマース、アクション!」
監督「なんやこの体・・。なんで全裸いけるいうたんや・・・。」
ここからあんまり見るきもしなくなっていました。
一応全部みたんですが、失速してから、ずっと同じペースで走り続けてた感じでしたね。
無意味で、冗長な演出は序盤にもあって、危惧はしていたが、それについては、意味が明かされたり伏線だったりしましたから、むしろ良かったんですけどね。
もうとっくに冷め切っているのに、女優の演技が大げさすぎて笑えたってこと意外は印象になかった。黒人
シーンは黒人への配慮なのか、無駄に写ってる時間がながい。カットできただろとしか思わない。まぁ死ぬんだけどな。
前半で神構図の連続だったのに、後半一切そのこだわりが感じられなかった。何が取りたいのかもさっぱり。何をみせたいのかもさっぱり。パパが死ぬシーンももはや笑えないジョークだった。
あれ、あの・・これ、滑ってますよ?
落ちも良く分からなかった。
他に映画を見た人が、興味深い解説をやっていそうなものですから、まぁ見てやってもいいかな。
後半はほとんど催眠状態で見てましたね。
これだけ失速した映画があったのか・・・。導入部分は完璧で。それらを支える構図も演技も完璧だったのに。
いつからおかしくなってしまったのか。やはり、あの黒人のアップがいけなかったんだろ。
同監督の、名作『カッコーの巣の上で』ジャックニコルソンが、同じようなアップの長回しを耐え抜いたが、あれも謎演出だが、あの長回しには、酒が回ってしまったという意味もあったはずだ・・、それに、ジャックニコルソンは、長まわしに耐えうる顔だった。だから、すごいんだろう。
でも、黒人はダメだ。黒いだけだから。
意味も、思わせぶりだったとしか思えない。
何か感じ取ってよ? なんで黒人のアップが続くのか、行間をちゃんと読んでよ? という、押し付け。何を感じ取るべきだったのかを教えて欲しい。
例えば、あの演出はいらなかったなというと、文句ばっかりいうなとよく反論されるが、教えて欲しい。お前は何か感じるものがあったのか、と。
そして、導入部がいかに完璧だったかということを、オレのように感じられたのかということを・・・。
シャイニングは惜しい映画だった。
まあ、ホラー映画だからねという、安直な感想で終わらせたくない・・。そのような感想をもつものには、導入から中盤にさしかかるまでが、どれほどすごかったのかが分からないんだろう。
はぁ・・・今までのつらい経験・・・。場かとの会話が全て蘇ってくるような、残念な映画だった。
バカには、考えすぎだといわれ、バカにはホラー映画だからとフォローされ、バカに慰められてしまうような、かわいそうな映画になってしまったんだ。どうして・・・。
朝 62.4kg
順調に体重が増えてて喜ばしい反面。単純に太っているのではないかという疑惑もあって怖いです。ただ、いつも朝食前に計っていたけど、今日は500mgのプロテインドリンクを計る前に飲んでしまったので、こんなものなのでしょうか。
排泄や食事の量によって1日に2kgや3kgの変化は当たり前だそうなので、ダイエットをするにしても、目先の体重増減にあまりとらわれないほうがいいそうですけどね。
昨日大切だと分かった肩甲骨に続いて、骨盤の柔軟性を良くみてみる。
右足はわりとよどみなく、骨盤から足を踏み出せているのですが、左足はずいぶんぎこちないことが分かりました。
絵を描き始めてずいぶんたってから、骨盤のかなり上の方から、足の可動が始まるということは学べましたが、実際に自分があるくとなったときに、意識せずして足を動かすことはできません。
骨盤から足を踏み出す動作は、歩くことにとっても走ることにとっても重要なことです。骨盤から踏み出すことが、単純に歩幅の増加につながるというだけではなく、骨盤の柔軟性によって、無理なく足を滑らせることによって、足に余計なダメージを与えない。
坂道でトレーニング
ま、山にいったってことですね。
山はガチ勢と散歩している老人しかいないので、すごくメリハリが利いている。
子供連れの親子とかもいるが、近くのランニングコースより人がずいぶん少ない。
1/5ぐらいです。だからなのか、逆に挨拶している人は多いです。
朝3時半ぐらいに目が開いて、中途半端な字簡易おきちゃったと思いましたが、二度ねするか、おきるかを20分ぐらいうとうとしながら悩んで結局起床しました。出発まではストレッチ系の動画をyoutubeで探して、一緒にやってみます。昨日は晩御飯も食べずにねちゃったので、お腹がとてもすいていましたから、プロテインジュースを飲んでお風呂に入って出発しました。
道中の食堂までの道のりで体の調子を確認しますと、体がボロボロになっていることが分かりました。ちょっとここのところ、ランニング以外でも、体を動かして仕方がなかったときには、筋トレして無茶をしてましたので、祟ったのだと思います。
一日か二日ぐらい、完全に休憩する日を作ったほうがいいのかな?
そうとはいえ、ランニングの調子は、いつにもまして良かったものです。
今日もまた、いつまでも走り続けていられるような走法の感覚を掴むことができました。
それでも、もともと体力がなかったため、これ以上疲れていいのかどうかが分からないという理由で、判断が分からなくなってしまうことがありました。
脳みそだけが「そろそろみんな限界でしょ?」と、細胞たちに語りかけます。
細胞はそれぞれ「いや、まだいけますけど。」「まぁ、オレもいけるけど~」「全然平気です。」「もうちょっと行ってみましょう。」と返事をするんですが。
またしばらくすると、脳みそが会議をひらいて「どう? そろそろ止りたくなった?」と声をかけます。
やはり、「いや? いけますよ。」「いけるねぇ」「さっきと変わってなくね?」
肺も血液も「乳酸は溜まってないし、呼吸も乱れてないけどね。」
で、こういう会議が開かれるたびに、ほんとに大丈夫なのかと心配になるんですが。
10回ぐらい限界かなと思っては乗り越えたんですが、走るのやめました。
それでも、まだまだいける感じではあったんですが。
筋肉痛だったうちももだけは「まぁ、痛いっちゃいたいですけどね。」といってたので。
結局全部脳みそがしゃべってることなんだけど。うーん。まだ走れたんでしょうか。それとも無理しちゃってたのかな。
体力自体が急激についたので(もともと10だったのが20ぐらいでしょうが)全然体力が残っている機はするんですが、これ以上疲れた経験がないから、走るのをやめたくなってしまう。
怪我だけは絶対にしたくないってものあるんですけどね。
そういえば、汗対策に、首にタオルを巻く方法をためしてみましたが、重点的にケアした胸元などは、効果がよくでていて、いつもは服の前面は全て汗まみれになってしまうところを、3割程度で済ますことができました。
うなじは上手くケアできておらず、いつもどおり7割方、あぜがついてしまいました。
うーん、明日は休憩しようかな。ストレッチするぐらいにして。
それから土日は少しだけハードに練習してみよう。
帰ってきてシャワーを浴びるが、ここのところ、シャワーで流した肌を、手でなでたりするんですが、ぬるぬるします。流している時に、自分でお腹をみたり、太ももをみたりすると、妙に反射してエロいし、さわってみるとプルプルだしね。
ネットで検索したけど、あまり分からなかった。
どうして、こんなありそうな情報がないんだろうか。
もともとシャワーで流すだけでぬるぬるなので、今は、タオルも石鹸もつかっていませんが。不潔なんでしょうか・・・。
普段から肌がぬるぬるしているわけではないんですけどね。
う~~ん。これで臭うようだったらちゃんと洗うようにしよう・・・。
フォームをかなり意識してやっているんだけど、まったくしっくりこない。あってるのかどうかも分かりませんね。
でも、人のフォームをみていて、アゴがあがってるなとか、背中まるいなとかは分かるんですけどね・・。
まあ、悩みながらやってみるしかないですね。そのうち、これだっていうフォームがみつかるよね。
走り終えたときは62.9kgでした。
2013年8月23日金曜日
ジョークや流行する話
男が旅行先から家へ電話した
電話に出た兄に、彼は尋ねた
「何かニュースはないか?」
すると兄は
「お前の猫が死んだ」
彼は言った
「そういう言い方はないだろ。穏やかに言え。例えばこうだ。
”猫はねずみを追いかけて屋根に上がった、そしたら脚をはさんだんで消防署へ知らせた。かけつけた消防夫が猫を助けて、降りるときに足をすべらせ、猫を落とした。だから病院へ運び、手を尽くした。
手術までしたんだが 手遅れだった。猫を救えなかった。”
そういう風に言うもんだ」
彼は兄に続けた
「お袋はどうしてる?」
兄は答えた
「ねずみを追いかけて屋根に上がった」
このジョークはいろんなパターンがあるけど。落ちを同じくして、もっと描写をこまかくしたり、日をまたいで段階を踏ませるものもある。
私が好きなのは、この振りの段階が、すごくアメリカンジョークっぽくって、兄が最後に皮肉のように答えるタイプのもの。
アメリカンジョークはコピペやその改変のように広まるが、日本に来てはあまり形を変えない。
ジョークを紹介する人が、ジョークに精通していないためだろうし。
それを見た人が、変えていいと思わないからだろうな。
私の好きだった流行話は、「赤い部屋」と言うもので、タクシーの運転手が、長い黒髪の不気味な女を乗せて、山奥でおろし、後をつける話だ。
自殺ではないかとの心配とは裏腹に、家につくと、男の中に違う興味がわいて一人暮らしの女の部屋を覗いてみたくなる。
そして鍵穴から中をうかがうと、一面が真っ赤の何もない部屋があるだけで、これも奇妙だとは思うが、彼女の姿も見つけられず山を降りる。
そして、ふもとのラーメン屋のオヤジに、こんなことが会ったと話をすると・・・って話
日本のジョークは流行るが、改変のされるたびにある程度よくなって行くものの、行き過ぎて流行ると、冗長になる節がある。その冗長さに、誰も異をとなえずに、そのまま広まることさえあるので悲しい。
つまり、この話の面白さがどこにあるかってことが分かってない。
いや、色々、おもしろさはあるだろうけど。自分がおもしろいと思うところはどこか。それがないんですよね。
だから、アメリカンジョークでも、落語でも。
面白さが分からない人と、どこが面白いか、何を伝えたいかを持っている人で話し方がどんどん変わってきたり、いいものを組み合わせたりするようになるのだと思います。
だから自分なりのおもしろさを組み合わせたものが。はじめに紹介したジョークです。
カプリコン・1で語られるこのジョークは、彼がジョークを言うところが落ちになっていながら、同時にもうひとつの収束への振りになっているところ。素晴らしい構成です。
作品中、彼がジョークが好きだという振りがあり、彼が朦朧としたまま、お気に入りのジョークを諳んじる時、観客は、彼の最後を予期するからです。
赤い部屋というお話は、怪談ではないですが、それと同列に語られることもあるようですね。
私はすごく好きで、これを超える話はなかなかでてこないと思ってるぐらいなんですけど。劣化されたものが伝わって、サイトなどに紹介されているのが悲しい。今も調べてみましたが。
女の人の格好が、赤いコートを着ているだとか・・。そういうバージョンもあるそうですね。これって、そうとう落ちを台無しにしてると思うんですよね。なんで分からないんでしょうね。
また、滑稽さでいえば、彼女の髪の毛が真っ赤だとか、そばかすで顔が真っ赤だったとか、言っているようなもので。
そんな振りで興味をひくわけないじゃんって分からないのかな。
あと、不気味だから、あまり関わりたくないようにしてなきゃだめなんだよ。
女が美人だったから、話しかけまくったってパターンもあった。これも論外なんだよね。だって、落ちが成立しなくなるじゃん・・・。分かるやん。
あるタクシーの運転手が、ベロベロによっぱらった、真っ赤に髪を染めて、赤いコートを来て、赤いブーツを履いた、顔中が赤ニキビだらけの女を乗せた。
で、山奥までいって、鍵穴を覗くと、一面真っ赤な部屋をみるわけですよ。
(ちなみに、山に行かないで、アパートだってタイプもある。これは、一番論外。そしてドアの魚眼レンズを覗くらしい。
見えるかぁ!
ありえないだろ・・・。なんでアパートについていくんだよ。 山奥にいって、雰囲気があやしいから心配してついていう理由があるんだろ?)
そして、山のふもとのラーメン屋でオヤジと話す。
「おやじ、じつは今日こんなことがあってね」
「ああ、その人知ってるよ。彼女も大変だね、人目を避けるようにあんなところにすんでいるなんて。」
「いったいどういうわけなんです?」
「なんでも彼女ね、病気で目が真っ赤だそうなんで。」
・・・
・・
・
ふーんで終わるわ。
あんだけ赤の要素があったら、鍵穴から赤い部屋が見えたところでふーんで終わるやろ。
部屋も赤なんやで終わるやん。
死ね。
アパートが論外っていったけど。もっとダメなのあったな。
それは、彼女が精神病患者だとかいう落ちのやつ。
なんでわかんねぇかなぁ・・・。
この話を面白くない要素だけでくみたてたらこうなるな。
・・・
あるタクシーの運転手が、ベロベロによっぱらった、真っ赤に髪を染めて、赤いコートを来て、赤いブーツを履いた、顔中が赤ニキビだらけの女を乗せた。
運転手の好みのタイプだったので、その女になんども声をかけたがつれない態度だった。
住宅街について、彼女をおろすと、運転手はストーキングをはじめた。
アパートの一室に彼女が入ったのを確認すると、ドアにある魚眼レンズの覗き穴で、部屋の中を見た。
すると、一面が真っ赤に染まった部屋が見えるだけで、彼女のすがたはどこにも見当たらなかった。
後日、タクシー仲間で幽霊を乗せただのと話で盛り上がっているところ、その運転手も話しに加わった。
すると、仲間の一人が言った
「おれ、知ってるよそいつ。目玉も真っ赤のやつだろ?」
---
実は、その女性は精神病患者だったらしいのです。
覗き穴にうつっていたのは、彼女の真っ赤な目で、彼女はなぜか、覗き穴を覗いていたのです。
・・・
・・
・
死ね
2013年8月19日月曜日
まだ山麓
までも行ってねーよと思うけど。
上手くなるにはね。
今まではただ漠然と、顔を描き、体を描いていたけど。
実際に、自分のキャラクターになにかさせようとした場合に苦労してました。
また、反対に、何かさせていた方が書きやすい場合もありました。
練習方法としてあまり意識してこなかったが・・・もったいなかった。
いつも、この向きで顔を描いたら、目と鼻とかはこうだろ・・という感じ。
からだをかいたら、こんな風に続いていくかなと。
そこにビジョンがないわけね。
人体の構造の確認というか。自分の中でのね。それしかやってない。
だからもっと、こうしいってことを練習して出来るようにならなきゃいけないなっと。
そのアイデアを出すのが結構難しかったりするんでしょうけど。
あとは自分の癖から苦手な部分を割り出すってこと。
癖はどうしてもありますね。
青山充じゃないけど。
私の場合は、線画とてもえぐれます。
いろんな方向にえぐれるが、大抵はえぐれるというぐらい内側に、内側に線が逃げるように神職していきます。
これをアウトラインだと思うなよと。
そこに、自信のなさや、線への苦手意識。
また単純に引けない線だったりする場合もあります。
が、えてしてえぐれる。
そういう線の癖は誰にでもあると思います。
やっぱり人の絵をみててもある。ラフだと特に分かる。そういう癖を理解して、絵にするときには修正しているんでしょうけど。
たぶん、こういう癖があるんだろうなって、傾向みたいなものが見て取れますね。
いい癖も悪い癖もあるよ。
とにかく私の場合は線がえぐれる。自分で認識しているのはそこ。
おそらくもっとたくさん癖があるし、重大なものも隠れていると思うが・・。
2013年8月17日土曜日
・・・・
燃え尽きた感がある。
目標を決めるのはよくないね。
短い期間だったので突っ走れたけど。
今日は何もかかなかったわけではないけど。
ダメすぎました。
一発描きしかやってないけどね笑
色々見失った。
図書館にまた行って8冊ぐらい本借りてきた。
何か勉強になるものあるかな。
手塚治虫の漫画教室はやばかった・・。
やっぱり輪郭なんだなと思いました。
手塚治虫でも言ってるとは。
目標を決めるのはよくないね。
短い期間だったので突っ走れたけど。
今日は何もかかなかったわけではないけど。
ダメすぎました。
一発描きしかやってないけどね笑
色々見失った。
図書館にまた行って8冊ぐらい本借りてきた。
何か勉強になるものあるかな。
手塚治虫の漫画教室はやばかった・・。
やっぱり輪郭なんだなと思いました。
手塚治虫でも言ってるとは。
2013年8月16日金曜日
蜘蛛
家に蜘蛛とか稀に出てさ。
こいつどこに行こうとしてるんだろうって思うんですよね。
蜘蛛が行く先に何があるのかなって。
自分の家だけど、ついて行くと、自分の知らない何かがあるんじゃないかって思います。
何考えてるのかとも思いますね。
何も考えてないし、行動に意味もないかも知れないけど。不思議です・・・。
でも蜘蛛かわいくて好きなんですよね。
だって、糸たらして降りてきて、着地するとか。かわいすぎる・・。ときめいちゃうよね。
ぴょんって飛び跳ねて壁にひっついたりするしね。
壁の真下までいって、そこからよじ登るんじゃないんだよ。
少し手前でジャンプして、壁に張り付く。
蜘蛛はいいなぁ・・。
幼女もかわいい。
どこに行くんだろうってよく思います。
お母さんと一緒じゃないの?
蜘蛛についていったら、ベッドの足にはりついて、角を曲がる。
同じように床を這って角を曲がると。
また少しずつ進んでいって、角を曲がった。ベッドを何週もしたけど、何か見つかったのかな?
幼女も蜘蛛とくりそつでかわいいです。
こいつどこに行こうとしてるんだろうって思うんですよね。
蜘蛛が行く先に何があるのかなって。
自分の家だけど、ついて行くと、自分の知らない何かがあるんじゃないかって思います。
何考えてるのかとも思いますね。
何も考えてないし、行動に意味もないかも知れないけど。不思議です・・・。
でも蜘蛛かわいくて好きなんですよね。
だって、糸たらして降りてきて、着地するとか。かわいすぎる・・。ときめいちゃうよね。
ぴょんって飛び跳ねて壁にひっついたりするしね。
壁の真下までいって、そこからよじ登るんじゃないんだよ。
少し手前でジャンプして、壁に張り付く。
蜘蛛はいいなぁ・・。
幼女もかわいい。
どこに行くんだろうってよく思います。
お母さんと一緒じゃないの?
蜘蛛についていったら、ベッドの足にはりついて、角を曲がる。
同じように床を這って角を曲がると。
また少しずつ進んでいって、角を曲がった。ベッドを何週もしたけど、何か見つかったのかな?
幼女も蜘蛛とくりそつでかわいいです。
2013年8月14日水曜日
-1 さよなら大振袖
マンガで見たシーンで、少女が文化的にも精神的にも大人へと成長する過程で、いろんなものに別れを告げるのがあって。
すこしパロディにして日記に描きたかったが、正確に思い出せなかった。
ぐぐっても出てこなかったし。
誰のマンガだったかってのも忘れてしまったし・・・。
わりと年季の入った少女漫画家だったと思ったんですけどね。
こんにちわ、僕、耳なし房一です。
絵が上手い人ほど、絵が上手くなれると思う・・。
ずるいです。
じっくり観察して、構造とか調べて1回描くより100回描いたほうが絶対身につきますね。
これって。英単語でもそうじゃないですか。
発音記号とか調べて、意味とか調べて。つづりがどうなってるか分析しても意味ないからね。
大切なのはほとんど、どういう字の並びかってことだけ。
漢字も英単語も、数学もだけど。
その分野に精通してるほど新しい知識得られるじゃないですか?
漢字とかだったら、分解して組み合わせで吸収できるし。
組み合わせて、新しい漢字だって作れるよね。
英単語も、文字の綴りってある程度規則性があって、まったく無作為な文字列だってわけではないからね。これは数学にもいえるし、何にでもいえる。
これは絵が上手い人に正八面体の回転を覚えなさいっていうのと。
絵が全くかけない人に正八面対の回転を覚えなさいって言うことと同じでしょ。
体の構造が知りたいときに、他にどの構造をしっているのかという予備知識が重要になりますよね。絵の場合、その予備知識ってのが直結しているしね。
私は、チョコやクッキーが嫌いではないけど。今は食べたいとは思いません。どうしてだろうね。
こんな熱い夏の日の海で食べるチョコレートと、スキー場のゲレンデで食べるチョコレートに何故違いがあるんでしょう。
動考えても後者の方がうまいよね。
スキー場では擬似的な遭難状態を体験しているからかと思ったが。そうではないみたい。
それは海でも同じことだから。
ペニスを触りながら幼女と会話することは合法なのかな?
もちろん、外には出さないけど。
何してるの? ってきかれたら答えるし。見せて欲しい?ってきいて、見せてっていわれたら見せるけど。
これって合法なのかな。
合法でもモラルに反するのでやらないけど。
セクハラ的な法律ってあいまいなの多いですよね。
最近では2次元の女の子にも人権を認めようという運動が広がる。
それは、なぜか、2次元が大嫌いな人がこぶしをあげるみたいだ。
2次元が好きな人は女の子に人権を認めない。
だって好きなセリフを言わせたいし、彼女達の意に反した行為にも及びたい。
だけど、やつらは、彼女たちにも結婚相手を選ぶ権利があるはずだと主張するわけだね。
オレは、目の前の人形に好きなポーズとかとらせたり、ずっと机の上にたちっぱなしにさせたりしてるんだけど。この人形には人権はないのかな?
意外と意識することでも。意識してなかったりしますね。
そういう思想にどうもならない。やっぱりビギナーだって思う。
絵を学ぶメカニズムみたいなのが分からないし。それを考えようとしない・・・。
実際に絵を描く時に、何を覚えていて、何を思いだしていて、描くのか。
覚えているのは単に位置関係だけなのか・・。
何を覚えなくてはならないのか。
絵の講座を見ても、ここには決定的なことが描かれていないなってものもありますね。
信者ではないが0033の絵には割りと決定的なことが描かれてる。
でも、習得するのは難しいけどね。
0033の特徴は本当にシルエットだと思います。
中身もかなり正しいけど。おろそかにする部分も、外枠だけは確実にこれとした自信のあるものを用意していますね。また、外枠にこじつけていっている部分もあるし、知りたいことを知れなかったりもするが。
勉強の仕方みたいなもので最初に教わったのが、比率というものでした。
絵の描き方を知らなかったオレの中では、画期的だと思っていましたが。
絵の要素って、比率だけではまったくないじゃないですか。
比率には限界がある。何かを定めたときには、そのカテゴリーの限界がくるだろうし。
その比率さえマスターしたわけではないけどね。
単純に顔の輪郭がかけるようになるように、全てのものの輪郭がかけるようになればいいって話なんですね。
顔の輪郭も角度によっては難しいけど。
何度も描いたことがあるものについては、おおよそ目をつぶっててもかけるでしょう。
輪郭は本当に大事。
今日思いなおした。
何度も何度も思いなおしているけど。
これは、誰もが大事なんだろうと思う要素なんだけど。
誰もが思っている以上に大事だね・・。
だって顔の輪郭を2秒で描いちゃうように、腕の輪郭も足の輪郭も。あらゆるものの輪郭が描けるようになればハッピーじゃん。
そうのようになるべきだって思うでしょ。
オレは今になって新しい気持ちが芽生えた。
ただがむしゃらに描いてみようってことでね。
ま、気持が新たに芽生えるのは良く経験したことだけど。
一ヶ月も同じような気持が継続したことはないからね。
とても純粋な心で、絵に対して関心を持てるようになってきています。
何か見て描くことも大事だし、資料を持つことも大事。
だけど本質的には何も見ないでかけなくてはならないと思うよ。
何もみないで、学ぼうとしても効率は悪いだろうってだけでね。
-1
すこしパロディにして日記に描きたかったが、正確に思い出せなかった。
ぐぐっても出てこなかったし。
誰のマンガだったかってのも忘れてしまったし・・・。
わりと年季の入った少女漫画家だったと思ったんですけどね。
こんにちわ、僕、耳なし房一です。
0033
絵が上手い人ほど、絵が上手くなれると思う・・。
ずるいです。
じっくり観察して、構造とか調べて1回描くより100回描いたほうが絶対身につきますね。
これって。英単語でもそうじゃないですか。
発音記号とか調べて、意味とか調べて。つづりがどうなってるか分析しても意味ないからね。
大切なのはほとんど、どういう字の並びかってことだけ。
漢字も英単語も、数学もだけど。
その分野に精通してるほど新しい知識得られるじゃないですか?
漢字とかだったら、分解して組み合わせで吸収できるし。
組み合わせて、新しい漢字だって作れるよね。
英単語も、文字の綴りってある程度規則性があって、まったく無作為な文字列だってわけではないからね。これは数学にもいえるし、何にでもいえる。
これは絵が上手い人に正八面体の回転を覚えなさいっていうのと。
絵が全くかけない人に正八面対の回転を覚えなさいって言うことと同じでしょ。
体の構造が知りたいときに、他にどの構造をしっているのかという予備知識が重要になりますよね。絵の場合、その予備知識ってのが直結しているしね。
私は、チョコやクッキーが嫌いではないけど。今は食べたいとは思いません。どうしてだろうね。
こんな熱い夏の日の海で食べるチョコレートと、スキー場のゲレンデで食べるチョコレートに何故違いがあるんでしょう。
動考えても後者の方がうまいよね。
スキー場では擬似的な遭難状態を体験しているからかと思ったが。そうではないみたい。
それは海でも同じことだから。
作画がどうこうって言ってたのはこれの話だよ。
ネットで拾ったやつをそのままアップロードすることを許して欲しい。
特徴出てる人は出ているね。
単純に下手すぎて浮いてる奴もいるけどね。
特に、パンチラインというか、泣きの部分では出てきます。
まったく普通の立ち絵ででるのは青山充かな。
六花ちゃんかわいい。(ほんとに自分がきにいってる六花の絵が、青山充のものかはまだ怪しいんだけどね。)
もちろん、外には出さないけど。
何してるの? ってきかれたら答えるし。見せて欲しい?ってきいて、見せてっていわれたら見せるけど。
これって合法なのかな。
合法でもモラルに反するのでやらないけど。
セクハラ的な法律ってあいまいなの多いですよね。
最近では2次元の女の子にも人権を認めようという運動が広がる。
それは、なぜか、2次元が大嫌いな人がこぶしをあげるみたいだ。
2次元が好きな人は女の子に人権を認めない。
だって好きなセリフを言わせたいし、彼女達の意に反した行為にも及びたい。
だけど、やつらは、彼女たちにも結婚相手を選ぶ権利があるはずだと主張するわけだね。
オレは、目の前の人形に好きなポーズとかとらせたり、ずっと机の上にたちっぱなしにさせたりしてるんだけど。この人形には人権はないのかな?
意外と意識することでも。意識してなかったりしますね。
そういう思想にどうもならない。やっぱりビギナーだって思う。
絵を学ぶメカニズムみたいなのが分からないし。それを考えようとしない・・・。
実際に絵を描く時に、何を覚えていて、何を思いだしていて、描くのか。
覚えているのは単に位置関係だけなのか・・。
何を覚えなくてはならないのか。
絵の講座を見ても、ここには決定的なことが描かれていないなってものもありますね。
信者ではないが0033の絵には割りと決定的なことが描かれてる。
でも、習得するのは難しいけどね。
0033の特徴は本当にシルエットだと思います。
中身もかなり正しいけど。おろそかにする部分も、外枠だけは確実にこれとした自信のあるものを用意していますね。また、外枠にこじつけていっている部分もあるし、知りたいことを知れなかったりもするが。
勉強の仕方みたいなもので最初に教わったのが、比率というものでした。
絵の描き方を知らなかったオレの中では、画期的だと思っていましたが。
絵の要素って、比率だけではまったくないじゃないですか。
比率には限界がある。何かを定めたときには、そのカテゴリーの限界がくるだろうし。
その比率さえマスターしたわけではないけどね。
単純に顔の輪郭がかけるようになるように、全てのものの輪郭がかけるようになればいいって話なんですね。
顔の輪郭も角度によっては難しいけど。
何度も描いたことがあるものについては、おおよそ目をつぶっててもかけるでしょう。
輪郭は本当に大事。
今日思いなおした。
何度も何度も思いなおしているけど。
これは、誰もが大事なんだろうと思う要素なんだけど。
誰もが思っている以上に大事だね・・。
だって顔の輪郭を2秒で描いちゃうように、腕の輪郭も足の輪郭も。あらゆるものの輪郭が描けるようになればハッピーじゃん。
そうのようになるべきだって思うでしょ。
オレは今になって新しい気持ちが芽生えた。
ただがむしゃらに描いてみようってことでね。
ま、気持が新たに芽生えるのは良く経験したことだけど。
一ヶ月も同じような気持が継続したことはないからね。
とても純粋な心で、絵に対して関心を持てるようになってきています。
何か見て描くことも大事だし、資料を持つことも大事。
だけど本質的には何も見ないでかけなくてはならないと思うよ。
何もみないで、学ぼうとしても効率は悪いだろうってだけでね。
-1
2013年8月1日木曜日
ラフストリーム
-15
明日から本気出す・・・
ウォーミングアップというか。
完全に捨てるようの絵という感じなんですかね。
5分ぐらいで左の絵描いて。
その直後に2分ぐらいで右の絵を描いたんですけど。
どう考えても右の方が見栄えいいじゃないですか。
絵のこういうところが謎だなって思います。
これがウォーミングアップによって得られたのか。なんなのか。
どっちにしろ、一度目に描いたパーツって全然格好がつかないことがおおいです。
目を描いたとして。一回目は適当に描いて。
それを消して書き直したほうが上手くいく。いきなり良い感じにかけることが少ないですね。
同人誌作るからマナちゃんも練習しないとね。
アニメみながらやろうと思ったけど。見ず。
ラフから進む気が一切ないからね。
下書きにするのもめんどくさいし。
線画とかもっとめんどくさい。
ラフから下書きに行く場合に。
けっこう、ラフの線を薄くして(元から薄く描いておいて)
上から新しい線を引きなおすって人が多いと思うんですけど。
私の場合はそれをやると全然ダメなんですよね。
ウォーミングアップで描いたことではないんですけど。
隣に、同じような構図で描いた方が上手くいく場合が多いです。
下にある線にとらわれすぎてしまいます。
顔もちょっとずつ上手になってきたかも?
以前は、顔だけはどっかから持ってきてていたけど。参考にする絵を開くのがめんどくさくなってるのもありますけどね・・・。
みんなが萌えちゃうような絵が描けるようになりたいです!!
相変わらず左右同じ目にするのは難しい~~。
ラフだとずっと描いてられますね。描くことがストレスに繋がらないから。
ストレスがたまってて。ああ、今日はもう絵描くの無理だ・・ってなることが絵の才能ないって感じます。
絵を描くことでストレスが解消できるぐらいじゃないとね。
2013年7月31日水曜日
Sadism & Masochism (線とグラデーション)
-16
円錐に嵌っちゃったかも・・・。
というか、すごいかも知れないです。
角の二等分
パースのかかった円についての理解。(円錐の土台を描くという意味意外での・・・。)
正面から立方体を描く時にもいかされる技術ですし。
紙に落書きしていて、気付いて、PCで描くのがめんどうだったため図説はないんですけど。
パースのかかった立方体の面を書く場合にも、円錐を意識すると、その中心が導きやすいです。
これは角の二等分の逆算みたいな感じですね。
さて、ここで、のしてんてんで、球や立方体や円錐について、とてもデッサンの基礎的な部分だと語られている理由が、少しだけ分かったんですけど。
どうして、三角形について大切だという教えはないのでしょうか。
特別、私自身も大切だと思う感覚はありませんが。
球や立方体、円錐に比べて、絶対的なものではないからでしょうか?
それならば、三角形を学ぶことについて、否定的な意見がないのは何故なのか・・・。
あたりはしばしば平面的でありますし、そこでよく目にするのは三角形のはずなのだけど。
円錐には、他の立体にはない、この線がどこにたどりつくのかという明確な目標があります。
また、もう一つは円柱の重なりについて。
これは難易度が高すぎて、心が拒絶しそう。
デジタルの利点を活かせば、多少なりとも簡単になるだろうが、それでも面倒なことには代わりありません。
すばやく、手によってのイメージ補助をする必要があります。
短い円柱が繋がっている様子を描くのは極めて難しい。そもそも、円柱を描くということが、その理解を要するはずなのだけど・・・。
素振りをもっとしたいと思う。
難しいのは楕円自体。
とても難しいポイントは、緩やかにふくらむ円のグラデーションを描くこと。
それ以上に難しいのが、円の間隔自体が、徐々に短くなっていくということ。
また、円錐と描き比べて、違いを感じたのは、傾きの有無ですね。
円柱を描く場合、よく大雑把な面として捕らえて、円の表面を見つめます。
その表面は、側面に向かうほど密度を増すのですが。円錐の場合、それが傾いていて、全て頂点にあつまっているのです。
正面から見た円柱の面の密度の変化もグラデーション
これは、円自体のベクトルの変化もグラデーションであることに等しい。
ユーグリッド原論に追記したいですね。
木村克朗 - 時の層は
グラデ
曲線が綺麗だとか魅力的だとか思うのはどうしてなのかと考えますと、要は変化を見ているからなんでしょうね。
本質、いや、本能的に。そういう変化を求めているところがありますから。
加虐では、対象が変化する喜び。
泣き顔に変わったり、喜んだ顔に変わったりすることで、やっぱり自分も嬉しくなってしまいます。
そこでは、対象がどのような反応をしたかについて意味を持たず、単に変化した。思い通りに、あるいは、思いもよらぬ変化を示したのが、嬉しくてたまらない。
また、被虐では、自分が変化させられた喜びを思うでしょう。
真円のカーブは、徐々に傾きが増していくわけですから、どの点からどの点に収束するということに関心はあまりない。それよりもこれが漸次傾いていく、という認識が大事です。その結果、ある点に収束しようとするから。
綺麗なカーブを描くのが難しいと思っていたのは、その意識が足りていなかったことも原因のひとつかも知れません。
いままで点Pを通って平均移動する点Aから、点Bまでの線を引きたいという意識しかなかった・・・。
それよりも、根本的なことの意識がかけていましたね。
ほんとに、誰も教えてくれませんね・・・。絵って。
そこそこ絵が描けるってレベルの人に聞いても、得られないだろうなって思うと・・・。
のしてんてんレベルの先生につかなきゃ満足できないです、きっと。私はね。
先生に画家としてのレベルを望むのではないですけどね。
のしてんてんの絵が下手でも、私の心を打ったと思います。
・・・・
絵でいえば、その被害者は、絵に心を動かされて感動し。
加害者は、その絵に使われている線を追って感動します。
絵自体は、色んな解釈が出来ると思うが。描いた人自身が、言葉で説明する場合に、そうしたくなくなってしまうのも理解できます。
そもそも、言葉で説明できない絵はダメでしょう。
しかし、どのようにも捕らえることができるので、一概には言いたくない場合もあると思う。当初の目的とかけはなれた意味として出来上がった場合にもです。
私が
木村克朗の「時の層は」をブログに貼り付けて、線については何が考えられるかと文字にしたとしても。「時の層は」の1本1本の線に対してどのように理解できるかと説明したわけではありません。
私は、木村克朗「時の層は」を知っていただけです。線について考えた時、絵を描きはじめて2週間目ぐらいに、youtubeで見たこの絵をただ想起したから貼り付けただけなんだからね!
その時にいいなとは思ったし先生はすごいなぁと思ったけど、本能にべたべたと触れてくるような絵よりも、単純に絵の見栄えをよくするテクニックが知りたくてyoutubeを見ていたので、特に取り上げることもありませんでした。
「時の層は」を貼り付けたのは、この記事に並べるにふさわしい。いや、こういうテーマの絵を、これしか知らなかったからという意味しかありません。
そうですね。たったひとつだけこの絵に関して言えることがあるとするならば。
私は、貼り付けるに際して、大きな画像を用意したかったということがありました。
「時の層は」は、もともと大きな絵なんです。
だから、このカンバスの大きさにも、意味はあるんだなと思いました。
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