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2013年11月8日金曜日

abc

サウンド・オブ・ミュージックで最も感動的なシーンは、歌を知らないという孤児達に、修道士マリアが、歌を教えるシーンです。

塞ぎ込んでしまった子供達に、マリアは「歌って楽しい気持ちになるのが一番だ」と声をかけます。
しかし子供達は、歌なんて知らないと言うのです。
マリアは驚いた気持ちを持ち直し、Do-Re-Me(ドレミの歌)を歌って、音楽を教えようと思うのでした。

さぁお稽古をはじめましょう
やさしいところから
英語のはじめは?  ”ABC”
歌のはじめは ドレミ  ” ド レ ミ”
始まりの3つの音です
ドレミ  ”ドレミ”
ドレミファソラシ

子供は自分達にとっての始めての音楽を、マリアに教わり、やがて、人は音楽によって幸福になれるものだと気がつきます。
マリアは、音楽がどれほど人生を豊かにするかを理解していましたので、歌を知らないという子供にショックをうけ、どうしてもそのすばらしさを知っておいてほしかったのです。


何を学ぶ場合においても、修道士マリアのような存在はかかせないように思えます。
絵も・プログラムにおいてもです。

プログラムの場合、プログラムの中ではじめに学ぶことよりも、開発環境を整えるほうがずいぶん難しい。とくにwindowsであれば、なんて開発しにくい環境なんだと、のちのち知って嘆くようになるほどです。
というのはwindowsの初期環境であれば、c言語のコンパイルすら不可能ですし、テキストエディタなんてものはついてきません。メモ帳があるだけです。
あれこれ、ダウンロードさせられ、統合開発環境をインストールすることになると、その段階から躓くことが多い。これは、OSがwindowsであるからに違いありません。
しかし、マシンスペックがますますあがる昨今では、OSがwindowsであっても何も問題ない。
プログラムに興味を持った人が悔やむ理由はありません。
むしろ、windowsでよかったと言わしめることも出来るでしょう。

というのは、windowsでlinuxを動かすことが出来るからです。
そしてvimやemacsといった、高機能エディタを苦労しながら使うことも、同時に出来ます。

この場合、慣れない操作をなれないまま続けるのではなく、わからないところを、なれたwindowsを操作することで、調べながら、また仮想マシンに戻って作業が出来ます。

なんにせよ、windowsで開発環境を整えるぐらいなら、linuxを動かしたほうがまし。
だけど、ほとんどの入門で、まずlinuxを入れなさいとは薦めない。
(linuxを動かせるようにしなさい)
それなのに、あとあとになってlinuxを推奨し、理由は「プログラムの開発に向いているから」というのだから驚きます。



IPアドレスを今すぐ知りたいから調べてくれ
ターミナルを開いて ifconfig と打つんだ。
IPアドレスが分かったら・・・

応用不可能な知識

直近の作業に必要な知識であっても、この知識は応用可能ではない。
応用不可能な知識の連続は嫌気がさし、まるで面白くないものに感じる例がある。

RPGにおいて、選択不能な時間が長いチュートリアル

道が何本にも分かれているにも関わらず、今は他の道を気にせずに、”俺の言うとおりに進んでくれ”という指示が、延々続くことを想像してみてほしい。
やがて、このゲームを自分の手によって操作することは可能なのか? と疑問がわくだろうから。


どうして知識を求めるのかを考えてみる。
知識を応用したいからではないかと気がつく。



abcdefghijklmnopqrstuvwxyz

これをひたすら描き続けることに意味はある。
なぜなら、アルファベットの位置関係を、日本人はよく理解していないから。
sという文字を参照したいときに、sがアルファベットのどのあたりに位置するかという問題は、なかなか英語に慣れていると思った人にも難しいはずだ。

例えば16進数の掛け算表を作ってみたりすることで、数字の面白さに触れることが出来る。
8進数や7進数、12進数でも書いてもいいが。驚くような発見がある。

これらが応用不可能な知識でない証拠に、プログラムではintと書く機会はあるし、数字だって扱う。むしろ、応用する他に可能性がない知識である。

上手くタイピングできるかという問題も。

abcdefg
hijklmn
opqrstu
vwxyz


ひたすら書き続けること。
アルファベットの位置関係をつかむため。

abcde
fghij
klmno
pqrst
uvwxy
z

さまざまなやりかたで記述をすること。
続ければ、やがて身についてくる。
もしも、5つごとに文字を区切って書いたら、それが5進数ってことだ。



絵でいうところの応用可能な知識は
パース・シルエット・・それから折り目とか。


2013年11月7日木曜日

言語の性質

もうプログラムのことしか考えられない
病気の領域

模写


pythonが人気がないのは、perlやrubyに比べ、堅苦しさが抜けないところだと思います。
rubyとか特に、3+4だっぺ とか、3+4だべ 3+4やん 3+4でおま。というような記述でプログラミングが成立するが、その分厳密ではなくなってしまう。まぁ、見つかりにくいバグも出てくるようになっちゃうわけだけど。
javaとかC言語。特にjavaはほんとに厳しいと思う。”陛下こちらが3+4でございます”のような、敬語を常に話さなければ、コンピューターに伝わらない。コンピュータを敬わなければならない言語なんですね。
だけど、そうとう精密だし、バグが出まくる反面、ひとつひとつの言葉が厳密に定義されているので、プログラムさえちゃんと書いていれば、ほとんど思い通りの反応をしてくれる言語ですね。
また、完成したプログラムを読み返すときに、動いている以上はちゃんと、書かれているという特徴もありますね。

でも、書くのが面倒なのは面倒なので、perlやrubyが、ハッカーに愛されるって理由も分かるんですけどね。pythonはなかなか愛されてません。
perlやrubyと同列に語られることもあるが、pythonはそこまでフランクではないようですね。丁寧でも、フランクでもない、中途半端な言語なので、好かれないのでしょう。
だけど僕自身が最も好きな言語であるpythonを、どうしても否定し切れません。どうしてpythonが好きだって説明することが出来るかな……。


小飼弾がpythonをこのように評価している記事がありました。pythonは傲慢であると。彼はperlの開発に携わったプログラマーですが、この評価ですごく納得したことがあるんですね。pythonの言語で非常に傲慢である部分が、perlやrubyからみるとわずらわしいというのでしょう。

小飼氏の言葉を借りて僕にいわせれば、C言語・javaは言語に敬いの念を、perlやrubyは友達との会話であり、pythonは自分に酔った言葉を書くことになります。
つまり、pythonの言語とは。3+4であるぞよ。2*5をつかわす。のように、バカ丁寧ではないのだが、言語を飾る言葉が必要であるわけですね。

そのおかげで、正しいプログラムであれば、誰が書いても、読みやすく、美しいコードが現れるのが、pythonというわけです。
僕は中二病ではないが、自分のプログラムに酔えるこのpythonが好きですし、プログラムの入門にもっとも適しているし、超上級者になっても扱うべきプログラムであると思います。スーパーハッカーになってもpythonがいいと思います。

javaの習得は自分が想像する以上に大変でした。言葉のわずらわしさも原因ですが、そのわずらわしい言葉のひとつひとつにも意味があるからです。
そして、意味は明確なのだろうけど、冗長なコードが、読みやすいとも思えないからです。



悪い癖なんだけど、プログラムしたい病が出てきましたね。
絵も描きたいんだけど。
何もかもやりたいっ。
でもなかなか一辺に出来ないのが辛いですね。

プログラムはすぐに飽きると信じて、ちょっと燃え尽きるまでやろうかなと考えてます。
だから絵は1日2時間まで・・多くても3時間までにして、プログラム中心の生活に変えよう。
筋トレはサーキット1本か2本と、ストレッチ。ランニングは週二回ぐらいに。
睡眠時間は3時間ぐらいにしよ。

プログラムもただ組むんじゃなくって根本的なところがどうしても知りたくなってしまった。スーパーハッカーにはなりたくないが(すぐ手に入れられる力ならそりゃ欲しいが)根底の知識だけは欲しい。


プログラムはどんどん深い階層に入っていく。

{
{
{
}
}
}

たとえばこういう知識が欲しい。
というのは、自論だが、根本的に理解できていることのみが発想に繋がるから。

16進数


C言語のハローワールドを学んだ時に思ったことがあるんだけど。
単純に"hello world"と文字を表示させるだけのプログラムに、不可解なところがたくさんでてくる。
全部説明すればいいのにと思う。後々躓いたときに、躓いた原因と共に教えられるのがつらいと思うんだけど。

printf("hello world")   だけを切り取って、printfは次の()内の文字を出力する意味とのこと。

fの意味についてさえ触れない。
そして、応用不可能な例題だということ。

つまり、この文章をみて、生徒は写すだけで、何も思わない。
というか。今は何も考えるなというんですね。

これは学校ならまだしも、インターネット上でさえ、もっとも適切な教え方だと信じられている。
生徒が30人もいれば、全員が同じペースで進めるわけではないし、30人から飛び出す質問を遮断したいという気持ちも分かる。ただ別にテキストであれば、延々説明することは可能なはずなのに、それをしない。いや、この先生には出来ないんだろうとしか思えない。

今は考えるなという単語は、その直後に明らかになってくること意外に使ってはダメだろう……と思うんですけどね。

#include<stdio.h> //ライブラリを挿入

int main(void){}    //関数であり{}内は、その意味
   関数は参照可能。それは別の関数内からであっても……。

かなり大掴みなないようではあるが、すでに応用可能。


#include<stdio.h>

int main(void){
dasu();
return 0;
}

dasu(){
printf("hello world");
}


これでも、helloworldは現れる。

もっと紛らわしくしたいだけなら


#include<stdio.h>

int main(void){
dasu();
printf("world");
dasuyo();
return 0;
}

dasu(){
printf("hello ");
}

dasuyo(){
printf("!!");
}


このような描き方がよいというのではなく。このようにも描けるという発想が大事だと思います。
しかも、非常にプログラムらしい(アルゴリズムらしい)応用が可能です。
当然プログラムですから、応用すればアルゴリズムらしさに近づくのです。
実際に、C言語のすべりだしから、この解説をして、理解不能だという人はいないでしょう。そして、半分以上が、helloworldを自分なりに描く方法を見つけられたはずです。
その発想の目を詰んでいるというのがまずい。

根本的な理解なくしては、発想はありえないという例でもあります。
冗長であり自己満足な発想ではありますが、その発想が浮かぶということが大事だと思います。

また、応用不可能である知識の何が悪かというと、興味が持てないということ。
なぜなら、知識を得たいという欲望は、知識を応用したいからという欲望に基づいているから。
ただ知っておきたいことなんて皆無だと思う。
まぁ、そういう人がいるってのも知ってるけど。(悪い意味じゃなくてだよ)


新しい分野に取り組むときに、足かせになってしまうのが言語の問題です。
英語にもいえますが、同じ日本語であっても、聞きなれない単語ばかりがでてくるプログラミングの環境では大きなプレッシャーがかかってしまいがちです。
だけど、新しい言葉を学ぶように、どんなにたくさんの知らない言葉がでてこようが、意味をしらべていけばいいだけです。また、どうせ忘れてしまうと思ったり、覚えられないことを苦しむことはないように感じます。
たとえ、この先何度忘れようとも、その文章を読んでいる今、意味を知っていれば問題はありません。
文脈の中でその言葉はいきているからです。忘れてしまってもまた調べればいい。それを読むときに知っていればいいだけのことです。
ただ、意味が分からないまま読んでも、何の足しにもならないことはたしかですが。

そのうちに文脈から意味を思い出せるようになったり、その文字をみただけで、どのような文章の流れの中にでてきそうかということが分かります。そして、たまに間違えたままつかっていたりするでしょうが、それも特に問題はありません。
日常会話でだって、ある単語を、まったく別の意味として使っている時期があっても、差しさわりがないからです。結局その場合、人と話すときに不便があって、やがて修正されるだけですが、自分の中で明確な意味をもって生きていればよいわけです。間違えたまま熟練者になったとしても、簡単に修正できることですしね。

2013年11月5日火曜日

python → java


久々に30秒ドローイングやってみたが全然ダメだった。
絵を描く脳みそに切り替えるには、いい運動になりますが。

さらに、久々に線画をかいているが、これも酷い。
以前よりはずいぶんよくなっているけど。超時間がかかる。
この作業が途方もなく感じる。


模写だ。


javaを勉強してみようかなって気になったんですけど。
初心者向けじゃないですし、小さなプログラムを扱うのには向いてないらしいから、全く仕組みを知らなかったんですが。
javaは確かに難しいですね。
他のプログラムを触らずにいきなりjavaから入るのは不可能だと思えるぐらいです。
僕はプログラムと対話できるpythonがお気に入りで、一ヶ月の猛勉強期間を経て、たまに触って遊んだりするようになったんですが。

例えば、もっともはじめに試すプログラムである"hello world"ですが。pythonだと環境をインストールしてから、ネットを見て、いじってみて。まぁ、一分ぐらいで到達すると思います。
しかも、ほとんどその文字が出る仕組みを理解して、かつ成功します。

print("hello world")

これだけで成功しますからね。
どの構文の意味も、もれなく理解できます。

じゃあ計算したい場合は

3+4 と書くだけ。

あるいは
a  = 3     (a,b = 3,4 でも可)
b  = 4
print(a + b)
print(b - a)
print(a * b)

中学生なら、いや、小学生でも、たぶん、pythonを知らなくても、どのように動くか想像できる。


これがjavaの場合はへローワールドまでに30分ぐらいかかる。
javaは難しいよってことなんでしょうけどね。

javaはpythonを1ヶ月ぐらい触ってみて、ある程度自分が思いつくようなプログラムなら組めるようになるぐらいになってからやったほうがいいかもしれませんね。
いきなりjavaは、無理だといってもいいぐらい、出来たとしても遠回りだし。
僕はC言語とかも触ったけど、もっとも簡単なプログラム言語がpythonだと思います。PHPの方が簡単だという意見もありますが、絶対pythonです。
pythonは自分のプログラムが非常に分かりやすいですからね。

簡単ながらも色々な可能性があるpythonはもっともすぐれたプログラム言語ではないかと思いましたが。(今もその確信がありますが)
最近javaについて調べてみたら、面白そうだったので、まぁ知識が増えることで損はしないだろうと思ったので。
いまさらjavaに注目してるのは遅いですけどね。

だけどまぁ、それも理由のひとつなんですけどね。
javaって結構嫌われてる感じがしますからね。なんかいまいち業界に乗り込めてないというか。出来ればjavaはやりたくない。って空気が蔓延してますよね。
いってみればlogicoolみたいなね。logicoolって、ちゃんとした会社って感じがしませんよね。パソコンが普及し始めたときに、マウスとかキーボードとか、他に選択肢がなかった感があって。別に製品がいいとか、耐久性にすぐれるとか、logicoolを選ぶメリットはひとつもないんだけど、シェアとっちゃったって会社じゃん。
で、いまだとlogicool製品使ってる人を見て、あなた他の会社しらないの? っていえるからね。

javaも結構そういうところがあると思う。
プログラムやってて、javaやってるんですよ~~っていったら、そこそこの仲間内ではそうなんだ~~ですまされるけど。実際舐められそうな言語ですよね。
え? javaっすかw。
っていう感じでね。



筋トレに関してだが、やっぱり食べないとダメだそうだね。
食事のことも考えてやりたいが。全く手を回そうとも思えないですね。
筋トレメインにするなら、そうするんだろうけど。おまけだしね。
食べるのも苦手だ。ちゃんと食べて筋トレしないと、全然筋肉つかないみたいだ。
youtubeとかでみても、食べて筋トレしてる人と、食べないで筋トレしてる人の差がすごい。後者がかわいそうだなって思うぐらいだ。

2013年11月4日月曜日

プログラム


安静時の心拍数 78だった。

起きてる時に計っても80とか超えてるから、これはきっと安静時の心拍数ではないんだろうって思ってましたが。寝起きで計るのが正しいやり方だと知って、やってみましたが、変わらない気がする。
というか、寝起きでも、ドキドキするよ。



絵ももちろん描きたいんだけど、絵以外のことにも興味がいきすぎて辛い。
時間がもっと欲しいよ~~!!
あと、すげー寝ちゃうってのも理由にあるんですけどね……。
今日も12時間ぐらい寝ちゃった。
3時間ぐらいでいいときもあるんですけどね。
後は寝る前に、寝るときの準備とかしたら、1時間ぐらいで目が覚めるんだけど。その場合は10時間ぐらいしか持たないけど(というより、体がだるくなりしだい眠くなる)



後は入りと抜きの大切さにそろそろ気が付いたかもしれない。
抜きには自信があったんだけど、入りだけは全然だめだった。上手い人はここも上手いのかなってふと思ったんだけど。
たとえば、画像に書かれてる文字みたいなの? あの文字を見てても、入りが上手い。
すげえなって思ったね。
普通の塗りとかを画像でみてるだけじゃ、入りの上手さとか抜きの上手さとかは別に気にならない。いくらでも形を整えられるって思うからね。
だけど、文字とかには現れているような気がします。

そう考えると、絵を描き始める頃に見た講座で、線画に色を落としてる動画があったんだけど。まさに、そういう感覚で、入りがすごい上手かったのを感じました。ふわっふわっと塗っていくので、筆を使いこなしている感覚が、ライブでとても伝わってきました。

そういう手の微妙な感覚も鍛えたいですね。
すぐによくなるような気もしますけど!



単にポジティブ思考な時期なだけかもしれないけど。

絵を難しく考える時期と、簡単に考えられる時期がほんとうにある。
基本的には難しく考える時期しかないんだけど。
ほんとうにたまに、もっと簡単に考えられるんじゃね? っていう、極論みたいにこうでしょって線が引けるときがくるんですね。

僕はほんとに、今のところバランスよく来る。
このバランスよく来るってのがいいのかもとも思える。
難しく考えてばっかりではたぶん、面白みのない絵になるだろうし。
簡単に考えることしか出来なくても、伸びなさそう。

今まではこの簡単に考えられる時期を、調子がいいってことかと思っていましたが。たぶんそうじゃない。呼吸をしているんだろうと思います。


絵は、折り目理論を中心に練習を進めている。自分は考えることなしにはたどり着けなかったが、誰もが考えなくてもたどり着ける境地なんだけど。絵を描く時にはとっても捗る。
極めて幼児的な・・・たぶん小学生とかが絵を描くときのような手法なんだろうけど、僕の場合本当に、この段階は飛ばしてやっていたからね。
だけど、最低限の技術がないとダメだってことは何度も思い知らされる。
絵の場合はこれなんだろう。

だから折り目理論に集中しちゃってるときには、バランスなんて到底考えられないんだけど。バランスが悪くても、折り目がそこそこ見えるので、バランスを重視してその他を軽視していたころよりもよく見える。
まぁまぁ、それは今折り目にしか目がいっていないってことがあるからなんだろうね。
オレは全てを見渡せるような目が欲しいよ。




自分が、ボーっと絵とかを見てて、思いついたこと?(ちょっとここの感じだけ、かいといたほうがいいかなってところ)をパパっと描くだけで終わってしまう。

今日はなぜかしらないけどプログラムを3つも書いてしまった。超簡単なものだけど。
ひさしぶりにプログラム書いたから文法とか結構忘れてた。
たまに書いてないと忘れちゃうね。

というのも、ぼんやりしているところに、ふと、コラッツ予想のアイデアがひらめいて、あれ? これ解けたんじゃね? と思って、歴史に名前を刻む妄想まで進んだが。
いざ、検証用のプログラムを作ってみて、いくつか試したんだけど、やっぱり無理ですよねって感じだった。笑

まぁ、思いつきで解けるような問題ではないってのは分かってたはずなんだけどね……。


それから、プログラムの文法とかをちょっと見直して、やっぱり気になるところとか詳しく知りたいなって欲望もわいたけど。
絵もかかなくっちゃってことでした。


2013年11月2日土曜日

どうしても出来ないこと

考えながらかくってこと。
どうしても出来ない。

ずっと考えて描いてないってことは分かってるんだけど。


絵がダメだからせめて体動かすか~
って思っても、走れない。


走るのを断念してから、まだ足の薬指の内出血はひいていないが、うずうずする。


今日近くのドラッグストアまで買い物に行くとき、ランニングシューズをはいて、行きと帰りを走ってみたが、非常に軽やかに走ることが出来た。

ランニングをしていたときにはこのように走れたことはなかったんだけど。
ずっと披露がたまってたからなんだろうね。
怪我をしても、筋肉痛のときでも、走っていたからね。


2013年11月1日金曜日

ロスト

アナログではそこそこ書いてる。
あと、テキストに文章は羅列してあるが、書いたときの記憶が残っているうちに修復しなかったのでロストしてしまった。




可能性のある練習方法をみつけた。
これは実際に描く場合じゃないんだけど。

見る場合のトレーニング。

まぁ、とにかく、脳みそに刻もうと思い込むことですけどね。単純に。

昔も心がけていたトレーニングだったけど。それよりもより具体的に、いや抽象的になっているのかも知れないけど。
次元が違う心がけだね。

まぁ、つまり、みたものを全部完璧に、写真を撮ったみたいに後で引き出せたら一番いいわけだけど。実際にはそうはいかないって思うでしょう。

例えば、60分ぐらいある、アイドルのイメージビデオみたいなのを見るとする。その60分間を全て思い出すことは不可能。
だけど、そのうち1パーセントでも何か脳みそに残ってればいいんじゃないかってのは思う。たぶん、どんどん、断片的にだろうが、意識してみれば、残るんじゃないかって思うんですよね。
だから、もう、見たものは、頭にやきつけるって思ってみる。もう、全部。見たものは全部ね。
すると、後で、今日何をみたかなって思い返すときに、全く思い出せなかったとしても、何か一つぐらいは思い出せるんじゃないかってことなんですね。

だって、映画を見たときに、そういう意識でまったくみなくっても、あのシーンが印象的だったとか、あの構図がよかったってのは、後から振り返ることが出来るからね。

でも、絵とか、イメージ的なものだけに限った場合って。そうやって思い返せることが少ない気がしたんですよね。
映画はストーリーの流れ+構図があって、急にインパクトのある構図が飛び込んでくるから。それも、緩急をつけてやってくる。
あるいは、何か起こるぞと言うフリをみせられた後にやってくる。
たぶん、そのストーリー(が心を持つとすれば)の心境にあわせた構図の連続からやってくるだろうからね。

模写するってのは、激的な効果があるんだろうけど。
それって、やっぱり頭に焼き付けてますね。自分が時間をかけて描いた絵は、割と、こんな絵だったなって思い出せる。
それは100枚の絵を10秒ずつ見た内の1枚とは印象がまるで違っているわけですからね。

つまり、いつかこんな絵をみたことがあるという印象がたくさんあって、新しい絵も出来るだろうと思います。

絵を描くのが好きな人はどのように絵をみているんだろうかって思うことがありますね。自分も好きなんだけど、いつも、意識して絵をみるわけじゃない。そういう日もあれば、何も考えていない日もあるわけですからね。
なんでアイドルのイメージビデオを例に出すかというと。意味がないからなんですよね。意味がすくなすぎる。映画などと比べてみたら、関連した言葉からアイドルのイメージビデオに出てきたひとつの構図などには全く繋がりにくい。関連した言葉? 意味が少なすぎるんですよね。
だけど、本当に絵が好きな人であれば。というか、まぁそれに興味をもっているひとであれば、何かしら意味をみつけて、そこにつなげられるようになってんじゃないかってのを考えました。

絵として頭に残ってるものは、単語とか、他の絵的なもの以外のものに比べて、かくも引き出しにくいかってことなんですよね。

バナナといったら黄色。みたいなそういうつながりがほんとにない。
だけど、出来るんだろう、絵が上手い人は。
バナナをイメージする時も、どうしても言葉が先行してしまう。
バナナという絵につながらないし。
いつも、思い浮かぶのは、バナナという漠然とした像であって、あのバナナ、このバナナではない。自分が思ってるバナナのイデアにのみ接続しているかんじがある。
いつ食べたバナナだという風に、思えるようになるはずなんだってことなんですよね。

言葉である程度遊べるように、絵でもある程度遊べるんだろうなと。

そういうトレーニング方法があるはずなんですよね。
その過程が絶対にあるはず。
絵が描けない人と、絵が描ける人の間に、ピテカントロプスがいるはず。

自分が見たものは、絶対に脳みその中に、映像として、絵として、残っているのに、そこに繋げるすべがない。


バナナと同じ理屈だが、エロい絵をかきたいとして、M字開脚を描くと。じゃあ、自分が今までみてきたM字開脚をどの程度イメージできるのか。それえをイメージせずに、M字開脚の写真をたくさん見るって方法もあるだろうし。イメージしたM字開脚の綺麗なラインを、写真を参考にして引いてみるって手もあるだろうが。
自分で出来るイメージが多いに越したことはないわけですね。
だけど、実際に、M字開脚ってどういうのがあるかなと。
興味がない人には、そんなに思い浮かばない気がする。で、その思い浮かばないM字開脚の語彙ならぬ像彙が貧困な中で、どのようなM字開脚が自分にとってよいのか。という意味さえ、ないんだろうと思う。
オレ、M字開脚のここが好きなんだよねっていえるところね。M字開脚の構図であったりね。あのM字開脚は本当にすごかったという、印象さえない。
だから、こんなM字開脚もありなんじゃね? という想像力なんてありえないんですよね。
で、こうなると割りとネガティブなんだがそうじゃないんだよ。
だから、今までは話になってなかったわけだ。
オレ、まだM字開脚の素晴らしさには出会ってないんだよね。誰もみたことのないM字開脚の美しさがあるならば、オレは見てみたいって、そう思えるようにならないとだめなんですよね。
M字開脚をしらなくっても、今までに見たM字開脚にはアクセスできる必要があるってこと。

M字開脚ではないんだけど。
例えばさ、女の子が足を体育座りみたいに足をかかえた時に、煽りの構図でみると、女性器の部分にくぼみができたりするわけじゃない。
そのくぼみは何で構成されてるのかってことが大事じゃん。
でも、別に解剖学とかは必要ないわけ。解剖学は言葉にアクセスするときに便宜上必要で、知識として持っている分だけ有利なのにはかわらないけど。
そもそも、そうなるっていう絵を知らないと意味がないからね。
知っていて、このくぼみを構成する要素は、なになに筋だよねとか、それを言葉に出来るのは強いってだけね。


で、自分が体験しなかったことも記憶に残るってのは、寺山修司がいったことだったって思うけど。あーオレならこうするのになっていう、体験もあればなおいいのかもね。
なんでもないイメージビデオだが、もっとこうなってたら、エロいんだろうなとか。会話することも出来ますね。
そういうもっともっと深い体験がしたいってことを思いました。

だから、あの時の、彼女の息遣い、彼女の振るえ、をイメージする時に、もやもやとした波はイメージ出来るんだけど。
線が出てこない。
肌の柔らかさをイメージするときに、きっと、絵が上手い人なら、何本かの線が同時に出てくるはずだからね。無数に出てくるんだろう。

痛い思いをした時に経験って思い出すことができるじゃん。
それも、同じぐらい難しいことなんだと思うんだよね。でも、割とかんたんじゃん。だから、見たものを思い出すことだって、全く難しいことじゃないと思うんですね。
その証拠に、いくつかの絵に関しては、思い出すことが出来るんだから。

自分が描いた線は、自分をミスリードするかってもの。
わざとミスリードさせて描く方法もあるのだろうが、本当に絵が上手くない限りは、その方法をとるべきではないだろう。
(途中)

--

自分から消失点までの距離はどれぐらいあるんだろうって考えるでしょ。
画面に一本の線を引いた場合には、確実に、その距離は有限だと思えるわけだけど。
画面に任意の点を描いて、そこまでの距離は、色々想像しうるんだけど、0であったり消失点のように、無限であったりと。
消失点に限っては、かならず、その距離は果てしなくなりますね。

スピーカーをみて、この上面の消失点はどこまで伸びてるんだろうって考えます。だけど、どうやら地平線には消えないんですよね。
この点ははるかかなた、宇宙を突き進んで、その先の先まで伸びるのかと。
自分の目に映らないのは、単純に視力が悪いだし。消失点がとても小さいものであるように、その伸びた先が小さすぎて見えないからなんだろうけど。

だから、自分の視野には本当は、そうとう大きな宇宙が移っているはずなのに、無限の宇宙を捕らえているのにも関わらず、漠然と空という現象としてしか認識できないってことなのか。

宇宙の果てだって、限りなく0に近いけど、見えてるってことじゃん。

目の前でなにかモノをひとつ見るよりも。もっともっと多くの、もっともっと巨大な宇宙を見ているってことだったんだ・・。

janakute

消失点までの線を、二分割することは可能だし、その距離は有限だと思う。
でも、その二分割した消失点の実際の距離は、その二分割の地点から、消失点までの二分割の距離に等しいのだけど。・・・。

2013年10月26日土曜日

絵が上手いってことの要素に、一度にたくさんのことを考えられるってことがあると思いましたね。
僕でいってみれば、全然まだまだだ。
たぶん、みんな訓練によって、一度にイメージできる範囲が増えていったんだろうけど。
それにはどういう訓練が必要なのかが分かりません。

だけど、模写をするにしても、何をするにしても、イメージしてから描くってことはそうとう大事なのかもしれません。
イメージするよりも前に、手が動いちゃうことが多いので、そういう力がまったく実についていない。

だけど、どうしてもゆっくり描くことができないので、何か対策はないものかと考える。

一発描きが訓練になるってのもほんとによくわかる。
絶対に消さないってプレッシャーは、たいしたことはないんだけど。確実にイメージできてから描こうと思うから。結局、見たものを画面に投影する力はついていくんだろう。
微妙なずれが重複して行くのを、気にしなければね。
1本1本の線をみずに、全体がどうなっているかを絶えずふりかえる癖もつくかもね。

だけど、現状は、常に考えていられないから・・・。

 模写

モートンフットの問題で、ランニングは断念している。
本当はランニングこそやりたいんだけど。
一応出来ないことはないんだけど。ちゃんとした専門家と相談の上、インソールを付けないとダメだそうだ。そこまでやる気力はない。
単純にめんどくさくってだ。

別に痛みがあるわけじゃないんだけど。別のトレーニングをしようかな……

よさそうだと思ったのは、サーキットトレーニングだね。
これは例えば30秒って感覚を決めて、腕立てやスクワットといった、筋トレをまわしていく方法で。心拍数も高い水準を維持できるので、持久力もつくんだと。

さっそくやってみたけど。まぁまぁ楽しいです。
楽しいんだけど。腕立て→スクワット で、いい感じに心拍数が高まってくるが、腹筋をすると、150ぐらいから、110ぐらいまで下がる。

サーキットトレーニングは、一分間での最大値から、それを時間内に割り出して、当てはめていくのがいいそうだ。あんまりよくわからないけど。
6分間やってみて。総じて腹筋の時には、心拍数がガタ落ちしました。
6分間で平均150程度をたもてたが、一切汗はかかなかった。
もっともっと続けると汗もでてくるんだろうけど。サーキットトレーニングの場合、そこまで時間をかけてやらないみたいですね。

筋トレってついついずっとやっちゃうけど。オーバートレーニング症候群ってのもあるみたいです。
疲労回復しきらない上に、運動をしようとしてしまって、かえって効果がでないってパターンですね。
倦怠感とかも起きる。
これは、絵を描く時にもあることなのかな?




上の模写だが。
模写自体が上手くいったというよりも。

始めてルーミスの本を読んで、ルーミスの本を読みながら、なんだ顔ってこうやって描けばいいんだっておもって、ルーミスの手順どおり描いていったときに、そこそこかけた時の感触ににていました。
だけど、元の絵は、髪の毛がすごいと思う。こんなセンスのいい髪の毛かけない。
練習もしてないけど。こんな髪の毛が描けるようになる日がくるのかな。



食事についてだけど。
あまりにも食べなさすぎなのは健康にもよくないし、やっぱり体重は増えない。60キロ台まで落ちてしまった……。
だけど、お腹が一杯の状態ってのは好きじゃない。満たされて何もする気がおきなくなってしまうからね。まぁ1週間に一回とか、そういう日があってもいいのかも知れませんが。

食べる量は増やしたいが、満腹の状態は避けたい。満腹と言うか。風来のシレンでいうところの満腹度50%ぐらいの状態でいたい。

オレはカロリーメイトの一袋(一箱の一袋の2本)と、ピルクルの500mlを飲むだけでお腹が一杯になって、何もする気がなくなってしまう体質なんだけど。カロリーメイトが1本100キロカロリーで、ピルクルが100ml67キロカロリーらしいので、ざっと535キロカロリーだ。

お腹がすいたときにこの量と食べると満腹で動けない。
だから、お腹が結構すいたなって時に、カロリーメイトを一本だけ食べる。
これでどうだろう。

オレは、トレーニングで体重増加を目指して、結局もとの体重を下回ってしまうという逆リバウンドを起こしてしまった……。
体重が下がり続けてるときの俺はやばかった。ほんとに倦怠感しかなかった。それも運悪く台風が続いて、身動きも取れなかったからな。
どっちにしろランニングには行かなかったと思うが。


絵を描く気が復活するまで左手で練習しよう。
何か自分を変えられるきっかけが欲しいですね。
やってなかったことに挑戦するのは楽しい。
すぐに飽きたとしてもね。


横はダメなんだけど。
縦線に関しては、右も左もかわらないぐらいですね。
右で引いたときの縦線のダメさを知っているから。それに比べると、むしろうまいぐらいだ・・。


2013年10月25日金曜日

~~

やばすぎ
こういう立体であるはずって思いが、まったく反映されない。

でもまだましだな。今日は描いたぶんだけまし。

何も考えてはいないけどな。





2013年10月23日水曜日

折り目統一理論

最近やばい
何がやばいって、調子が悪いとかじゃなくって、単純にかいてないのがヤバイ。
明日は描こう、明日は描こうって思ってなかなか描けない。
体力がないんだね。

いきなり走る続けるのが無理なように、少しずつ走れるようになっていくしかないのかも。
5-6時間描こうって思っても全然ダメだから。息切れする。
以前は全く苦にもならなかったのに、ここのところ、絵を描いている時間がどんどん短くなってきていて、体力が落ちてきたのかも。

今日も、明日は絶対描く・・って思って布団に入ったけど。
やっぱり30分だけ描こうと思って起きた。
今日30分は絶対に机に向って描く。それで、明日は1時間描こう、どうしても無理なら1分でいいから、時間を増やしていこうって思って。
そうやって少しずつ集中して書ける時間を増やしていこう。


二つはちょっとだけゆっくり描いた。だけど、今みなおしたら、論外な間違い方してる。
描いているときも上手くいかないなって迷ったんだけど。左右対称のポーズの時に、パースのラインが見えておらず、左右対称になってない。
肘が顔の前にでているという前提にすると、位置もおかしいしな。
まぁ、こういうのは絵が上手いひとなら絶対にしないようなミスなんだろうな・・・。

体の部分的な形が分からないとかなら救えるんだけど。適当に〇とか△とかを画面に配置するのだって、思い通りにはいかないから。
そうい練習から始めるべきだったのかもしれませんが。〇とか△とかを自由に配置できる意味は分かりません。
パースっていうけどさ。パースって一言で片付けられるほど簡単な言葉なんだろうか。

絵の描き方、教え方って、そういう批判は数多くしてきましたが、一言では無理でしょ。




「このブログに記述される僕の言葉が、日本語としても機能するはずだ」という確信をしてしまっています。

折り目統一理論

で、最近はちょっと思うことがあるんだ。
折り目な。
線画ってのは、折り目がすごく重要になるとおもうんだけど、そこに今まであんまり気が付かなかった。シルエットが重要だってのは結構前から気付いたんだけど、この折り目も2番目ぐらいに重要だ。シルエットが1次元だとしたら、折り目でついに2次元目に入るから。
シルエットを除外したら、その折り目が1次元目だからな。
で、この折り目のつき方がどうなるかってのがそうとう難しい。いや、だけど感じれば簡単なんだ。
つまり、いつも手本を引っ張り出さなきゃならない状態を避けるなら、覚える必要があるってこと。
そこに法則性のようなものが見つかれば、きっとどんどん吸収していけると思わない?

これはあってるかどうか分からないことなんだけどね。

ほとんどのモノが、超記号化すると、立方体になるってことは知られている。そこまで構造物らしいモチーフは、なかなか見つからないんだけど。それでも、立方体のシルエットも描けないし、折り目もつけられないってことは、絵描きにとって、致命的なこともかも知れないな。

ただ重要なのは、立方体のシルエットで、もっとも難しいのは、アイレベルを統一することにある。折り目自体は、そこまでは難しいものではないんだ。アイレベルを統一するってことと、シルエットが描けるってことが出来ていればだけどな。
立方体というよりも、何かのシルエットを描こうとする時に、もっとも重要になる概念がアイレベルってことだ。アイレベルがずれているので、シルエットもおかしいって現象がでてくる。
つまり、シルエットのどこかがおかしいと感じたら、かならず統一されていないアイレベルがあるってことなんだ。
シルエットを描く時に難しいのは、決して線を引くことなんかではないってことだな。


絵を学ぶときに、パースが大事だからといわれても、それを学ぶ気になれるもんじゃないが、パースの中で重要なことだけは、是非とも知っておきたいと感じるだろう。しかし、絵を教えてくれる人が必ずしも、その重要な部分を抽出できるとは限らない。むしろ、出来ないので、パースが大事だといって突き放してしまうんだろう。

折り目の重要性と、難しさを説明することは、なかなか困難に思える。
誰もが間違えないと思って見落とすし、難しいとも思えないからだ。
しかし、100発100中で折り目を間違えないってことは、おそらく誰にも不可能なことだと思う。
間違えたことを理解できれば何も問題はないけどね。
間違いに気付かない、間違いをどう修正すればいいかわからない、そういう時に折り目が違うかも知れないと、思うことすら出来ないのは悲しいことだろうね。
そこで、パースは正しいのか? と見直してみるように、折り目が正しいかどうかを見直せるやつになりたいだろってこと。

シルエットと折り目を同列に語れないのは、シルエットが総合性を表すのに対し、折り目が局所的だからではない。
シルエットの方が重要であるのは、折り目が単に、シルエットの中にのみ存在するという理由があるからだ。シルエットも折り目も、全体を明らかにする要因のひとつだから、シルエットの次点に大切だと思うよ。
また、シルエットを描く技術なくして、折り目を描くことはできないだろうね。なぜならば、折り目は、ある意味でシルエットと同議であり、同じ技術を使うものなんだからね。


左上に描いたものは、折り目の基本形だ。
形あるものの基本を、立方体で捕らえることが出来るように、折り目も、形あるものの中に現れるようだ。

それから、いくつかのイラストを参考にして、折り目がどのように応用されているかを描いてみた。
中でも赤で囲んだものは、最も折り目の技術が重宝されるところ。
青で囲んだところは、顕著に、折り目の特性が現れると思ったところだ。

以前ブログで、円柱に描かれる線が、何を表しているのか、という記事を描いたが、そこでは上手く説明する知恵がなかったので、明らかにしなかった。今折り目という言葉を発明したので、簡単にいえる。まさに円柱には折り目が描かれていたんだってね。


折り目について熱心に話したが、そもそも、折り目がどのぐらい応用のきく技術かってことが大事に思うね。それには、僕も実のところはよくわからない。折り目の発見はまさに今したばかりだから。
いや、うすうす以前から、何かひっかかるものはあったと感じていたが、完全にひとつの理論としての道筋が開けたというのは今だから。
分からないことばかり。まだ検証していない部分の方が多いかもね。

例えばこれから研究してみたいと思うのは。
折り目は、いつも決まって、おなじような規則性を持って、表れるか、ということだ。
折り目が現れる立方体は基本形と説明したが、いつも決まって、同じ折り目をつけるんだ。
これは、同じシルエットのときには、必ず、同じ折り目がついているって意味だぞ。
そこで、立方体がそもそもモノの基本的な構造物のひとつであり、応用可能なモチーフであるならば、この立方体のシルエットはもとより、内在する折り目自体も、応用可能であるはずだ、と考えたわけだ。

また、パッと今日の思いつきで、折り目といっているんだけど、そもそも定義があいまいなので、それもはっきりさせたい。なので説明には絵を描くほかにないのが気がかりだな。
というのは、折り目ってことを、コレっていうふうに、指で示すことはできるが、それ以外の説明の方法、特に文字で表現する方法に困っているところだから。
それに、どうしてそこに折り目が表れるかってことだって、分かっていないからな……。


だけど、図形が複雑になるほど、シルエットは力を失うが、折り目は力を増すよ。





2013年10月21日月曜日

泣きそう

絵の調子悪くって泣きそうだ……。
まぁ模写した絵みたいにいかないってところで泣きそうなんだと思うけど。
当たり前なんだけどね。
そんなにすぐに描けるようになっちゃったら、もとの人の努力が報われないからね。



心拍数150付近をキープしてランニング

走ろうと思ったが、走ると170ぐらいまであがり、さらにペースをあげるとすぐに190まで上がる。
その人の年齢にもよるんだけど心拍数190以上は絶対上げちゃいけないラインという指標がありますね。180超えるのも危険っちゃ危険なので、越えないほうがいいですよというライン。

しかし、早歩きをしているだけで145~152ぐらいでます。
だけど、このペースなら歩き続けていられそうだなって思いましたが・・・。それでもずっと走っているうちに、体調に変化があらわれて、その細かい変化が積み重なって、バランスが崩れていくんでしょうが。

150をずっとキープして走っていると、頭が沸騰しそうになりますね。
こういう感覚って本当にあるんだって思ってびっくりしました。
結構意識が朦朧としてきて。
あんまり見てはいないんですけど、脳みそはちゃんと道をわかっているし、地面を踏みしめる感覚や、足を蹴り上げる感覚、さらには呼吸を吸ったり吐いたりするペースをきちんと守ることは出来る。
一次元別のところにいる気分になります。
それが低いか高いかは分かりません。

まぁwikiによると150までは有酸素運動なので、この心拍数の範囲内で走れるからだを作りたい。
今のところ早歩きレベル1で150をギリギリ割るぐらいで、早歩きレベル2に移行しようとしたところで150を超えてしまう。



ランニングコースの一区間である650mは余裕で走れて、さらにまだまだいけるよって感じではあるんですが、心拍数は190まであがるので、怖くてできませんね。まぁいつもこんな感じだったんだろうなと・・。
進歩は見られません。


まあ早歩き程度で150出ちゃうとか、運動不足すぎだろ・・オレ・・って思ってたけど。すこし調べてみると、単純に栄養不足って線も出てきましたね。
僕あんまり食べないからね。一日一食だし。
今ざっと計算してみたが、だいたい1000~1200カロリーぐらいしか摂取してない。

こういう状態で筋トレしても、筋肉が落ちる筋トレになってしまうらしい。
ハラハラ





2013年10月20日日曜日

白線のパース

体重は62.2キロだ

増えてない。しかもプロテイン飲んだ後計ったのに!!
一時期65キロ近くまで行ってたのはなんだったんだろうか。
無理に食べまくるようなことはしないけど。


心拍数やラップタイムを計れる腕時計が届いた。
これで、心拍数を管理しながらトレーニングできますね。ずっと欲しかったんですが、本格的なのは高いし、安いのは評判悪いので迷っていたんですが、よさそうなのが見つかったので買いました。

さっそく平常時の心拍数を計ろうとして、心拍計とにらめっこしているんですが、数字を見ていると、自分の変化に応じて真p0悪系の数字も動くので面白い。


安静に安静にっておもっても、緊張しちゃってあがっちゃうし・・・、なかなか普通の心拍計を見ながら落ち着いた状態に持っていくのが難しい。
これは心拍数の不確定性を表していますよね。

これは体の温度を測ろうとしたときに、温度計を腋に挟むと、温度計のもつ温度によって、体温が変化させられてしまうため、精密な体温が結果として得られない現象と一致します。

心拍数を見ながら心拍数を計ると、心拍数を計られている事実が、心拍数に影響をあたえてしまうって事ですね。まぁ、なれてはいけるんでしょうが・・・。ほんとうかな・・。

心拍数を見てると、緊張してあがっていく心拍数に気が付いて、笑ってしまうんですが、そこで笑うともっと跳ね上がるんですよね。おかしくってしかたがない。
自分にもしトレーナーがついてたら真面目にやれってなぐられてるところですが、無理ってものですよ。

あとなんか、息を止めてしまうんですよね・・・。

すこしつけたまま運動してみたが、心拍数を上げるのもなかなか大変だと分かった・・。


ただ自分で脈を計ってみた場合と少しだけ違いはある・・。
機械ではかるとほとんど70後半から80、何かしら異変があると、すぐに反応して急増するという感じだったが。

自分で平常時に指で計ると67程度だった。(平常時とはいえない、ちょっと緊張してはいる状態だったけど・・。)


走ったが、心拍数はうまく計れなかった・・。まぁ安物だしね。
計れるときと計れないときがある。なれるまでに時間がかかるかも。

いつものコース、約3キロ程度を歩く。
650mを久しぶりに完走した。体力は残っていたが、一区間という区切りが、それ以上を走らせる気にさせない。次はこの壁を越えるのがいいと思うが。今日は足の状態がかなり良くなっているのを確認できたので、悪化させたくなかったので、走るのをやめたのもある。
スプリントできない状態だったが、出来るようになりました。
ただ、相変わらず筋肉痛は残るので、取りたい。
筋トレがよくないのかな~~。

体は異常なぐらい柔らかい。
異常っていうか、もともとかなり硬いと思ってたから、前屈で手が地面につくのが信じられない・・・。
アホみたいな話だけど、頭に足が掛かる。ヨガー

もしも、今、体が硬くって、柔らかくなりたいと思っているなら、2週間だけでいいので、一日20分程度ストレッチをしてみてほしい。
たった2週間だが驚くほど変わる。

おすすめは肩甲骨と骨盤に関するストレッチだ~~。

180度の開脚が出来るようになったわけじゃないけど。
180度足を広げるのって、背中とか腰が柔らかくないと出来ないらしい。

本気で目指すなら一日1時間ぐらいかけてするみたいですね。
僕は運動前10分 運動後10分程度ストレッチしてる。

まぁでも本当は分からない。
下品な話だけど、女性器をおもいっきり拡張するでしょ。
それって、慣れもあるんだろうけど、その日だけなんだよね。すぐに柔らかくなって広げられるようになるってだけで。
女性器をその日ガバって拡張したとしても、締りが悪くなるわけじゃない。その日は悪いけどね。
次の日になったらすっかり元に戻ってる。
赤ちゃん産んだからって締りが悪いなんてこともない。そんな人はもともと締め付けが悪いんだろ。




武田弘光リスペクト。
他に尊敬できる人がいないんだけどね。

今日ちょっと分かったこと。
下あごより下に、アゴは来ないんだな・・。下あごがアゴの限界ってことだ。
これは、口をどれだけ大きく開けた場合にも変わらない・・。

当たり前だけど、言葉に出来る喜びは相変わらず大きいです。

当たり前のことしかないんだけど。
絵を描くってそういうことだから。


例えば次のようなことがいえる

今、目の前の道路を緩やかに曲がる白線の内側を描くとする
(白線が2本の曲線で表現される場合の、片方、あるいは、一本の線でのみ表現された白線の場合)

しかし、この線だけでは、白線を十分に表現したとはいいきれない。
※黒いという理由ではない。
この画面に、アイレベル書き込むことによって、はじめて、一本の曲線は、地を這う、道路に描かれた白線として、画面に浮かび上がる。

または、アイレベルという目に見えない何かを描くのではなく、そこに別の物体を書き込むことによって、物体が、アイレベルを浮き彫りにし、その結果、白線が画面に浮かび上がる。

つまりは、白線の内側も、外側も両方を描いた場合、それだけで地面とアイレベルが明らかになり、白線もまた明らかになる手順で、絵が見える。


直感で見た、目や、脳の機能というのは、すこぶる聡明であると分かる。
この解釈がほぼ瞬時に出来るから。